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ところどころ要領を得ない部分も多くわかりづらかったが、少女の言葉を拾い集めて推察すると、少女の家系は代々植物の妖精の加護を受けているらしい。
レオナはフム、と考えを巡らせる。
ローエンの庭師としての腕は、レオナから見ても確かに優秀だ。彼はこのだだっ広い植物園をほぼ一人で管理している。
たまに補助役のような人物も見かけることはあったが、植物に直接手を入れる作業はローエンが行っている姿しか見たことがなかった。
しかし実際にローエンが作業をしているのは一日、多くても二日程度だったように思う。
敷地の広さを考えるとずいぶんと仕事が早いものだと思っていたが、妖精の加護を受けているのならば作業時間の短縮ないし、効率はかなり上がることだろう。
急に黙り込んだレオナを見て、少女が不思議そうに目を瞬かせた。
「ローエンはさっきみたいに妖精がお前にちょっかいかけてくること、知ってるのか?」
「ちゃんとおはなししてるわ。おじいさまがね、ようせいさんとのことは、ぜんぶおはなししなさいっていうんだもの」
ローエンは少女が彼の仕事場についてくることを、七歳の誕生日を迎えるまでは許可できなかったと言っていた。
あくまで伝承でしかないのだが、人の子は七歳までは妖精や魔のものに連れ去られやすいと聞いたことがある。
ローエンの職場――つまり、植物園のように木々や花に囲まれた空間は妖精の数も多いだろう。彼が『七歳』という年齢の区切りを作っていたのは、少なからず妖精の伝承が関わっているのかもしれない。
加護を受けるほどに妖精から気に入られている血筋の子どもであるならば、なおのこと危険は高まるはずだ。
しかし、それならば。
年齢を制限してまで妖精との関わりに気を使っていたローエンが、赤の他人であるレオナに、少女のことをあっさりと預けたことが不可解だ。
レオナとローエンは既知とはいえ、数回しか会ったことはない。それもローエンの作業の合間に世間話を交わした程度の間柄だ。
「あとね、わたしが一人のときにようせいさんがきたらね、なるべくおじいさまかおかあさまをよびなさいっていうの」
少女がしょんぼりとうなだれる。
「いまはね……おにいさんがいるからいいのかなっておもったのよ」
あぁ、そういえば。
レオナは記憶を掘り起こす。
ローエンは、レオナの名前を知っている。キングスカラーという姓を名乗れる出自は、夕焼けの草原を除いてもおそらく一つしか存在していないはずだ。
アイツ……どこまで押しつけるつもりだったんだ。
レオナはガシガシと首の後ろを掻いた。レオナの身分を知っていれば、自然とレオナの評判も耳にするだろう。ましてや、レオナが生徒として通うNRCへ出入りできる人間だ。レオナの成績についても把握していたというのであれば、もし妖精が少女に悪意を向けようとしても、対処できると考えたのかもしれない。
それにしても、信用しすぎだと思うが。
少女の家は、妖精の力を借りて職を得ている。それならば、妖精の望みを無下にもできないという教えにも納得がいく。レオナには関係のない話だが。
関係がないからこそ、あまり気分の良いものではなかった。
相互利益の元に成り立つ対等な関係であるならば、それは良い。しかし、少女自身は妖精たちからまだ何の恩恵も受けていないはずだ。妖精は少女のものを奪う。それは一方的で、搾取でしかない。
にもかかわらず、奪われる側である少女はそれをただ受け入れている。
レオナはそれが気に食わなかった。
少女はもう髪飾りを取り返す気はないようだが、やはりどことなく沈んでいる様子を隠しきれていない頭を、レオナはぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「……おかあさまもね、ようせいさんにあげたのっていえばきっとおこらないわ」
少女がにこりと笑う。
「ようせいさんがほしいっていうなら、わたし、
少女がそれを言葉にした瞬間、妖精の口が禍々しく弧を描いたのを、レオナは見逃さなかった。
懐からマジカルペンを取り出し、瞬時に防衛魔法を展開する。
バチンと大きな音を立てて、光が弾けた。
驚く少女を腕に抱え、レオナは立ち上がる。
振り返ると、妖精が腕を押さえて苦痛に顔を歪めていた。
少女が上擦った声でレオナを呼ぶ。
「お、おにいさん?」
「シィ……そこの妖精に拐かされたくなけりゃ、 声を出すな」
レオナの言葉がどこまで少女に通じたのかは不明だ。
それでも少女はレオナの眼差しから緊迫した空気を察したのか、小さな手で自分の口を覆うとコクコクと頷いた。
レオナの肩を掴むもう片方の手に力が篭められる。その様子を確かめてから、レオナはもう一度妖精の方へと向き直った。
「さて。お前たちは植物園に住んでる連中とは違うよな。この子どもと爺さんらについてきた奴か」
「――――」
妖精が無表情のまま、何かを答える。
しかし、この妖精の声はレオナの聴力を持ってしても聞き取れなかった。
「まぁ良い。こっちの言葉は伝わってるみたいだしな。とにかく、お前たちがどんなルールでコイツらと付き合ってるのかまでは知らねーが、何の見返りもなく髪飾りを奪った挙句、コイツ自身まで連れて行こうとするのは、さすがに横暴が過ぎるんじゃねぇか?」
「…………」
妖精は口を引き結んだまま、答えない。
この妖精は相当少女を気に入っているようだ。
そしてそんな相手が、たとえ本人にそのつもりはなくとも、「何でもあげたい」と言葉にしてしまった。
チャンスとばかりに、この少女を自分のものにしてしまおうとしたのだろう。
「――俺の目が届く限り、ここは俺の領域だ。俺の目の前で秩序を乱そうとするなら、容赦はしねーぞ」
右手でマジカルペンを構えて、魔力を巡らせる。
魔力が体内を循環するにつれて、レオナたちの周りの空気が少しずつ渇き始めていった。
空気の変化を感じたのか、腕の中で少女が首を傾げた。
しかしレオナの言いつけを守り、言葉は発しない。
良い子だ。レオナは口角を上げ、心の中で少女を褒めてやった。
「“俺こそが飢え、俺こそが渇き……”」
詠唱を始めれば、レオナの魔力はさらに膨れ上がる。
こちらの出方を窺っていた妖精は悔しそうな表情をすると、くるりと身を翻した。
光の粒子がその軌跡を描き、消える。
「……行ったか」
これでしばらくは少女に近づかないだろう。
少女を地面に下ろしてやり、目線の高さを合わせるようにしゃがみこむ。
「あまり不用意な発言をするな。妖精は元来狡猾で、ずる賢い奴が多い。隙を見せれば、自分たちの都合の良いように解釈を捻じ曲げて手を出してくるぞ」
「……ようせいさん、何をしようとしてたの?」
「お前を攫おうとした。アイツらに連れて行かれたら、二度と戻ってこられないぞ」
二度と、の部分を強調して告げれば、少女の顔がこわばる。
「……おうちにも?」
「家にも、だ。爺さんとも、母親とも会えなくなるぞ」
付け加えればようやく事態を把握したのか、少女が両手で服を握り締めてうなだれた。
「それはとってもこまるわ……」
「だろうな」
「ありがとう、おにいさん」
「別に……目の前で子どもが消えたら寝覚めが悪いだけだ」
レオナがフイ、と顔を逸らす。素直さとは程遠いレオナの態度に、少女がクスクスと笑った。
その表情は、もう晴れやかだ。
「……あのね」
少女がぽつりと言葉を漏らした。
「わたしね、おじいさまとようせいさんがいっしょにおしごとしてるところをね、見たことがあるの」
小さなつま先が、地面をなぞる。
「おじいさまも、ようせいさんも、とってもキラキラしててね、たのしそうだった」
小さな体が、くるりとステップを踏む。
「わたしもね、あんなふうになりたいなっておもったのよ」
少女が祖父と同じ道を望むのであれば、少女はこの先も妖精と付き合っていかねばならない。
きっとまた、我慢を強いられることも、危険な目に合うこともあるだろう。
種族の違いによる認識の齟齬もわからず、その「わからない」ということの恐ろしさを理解できるようになるまでは、何度でも。
理不尽に未来を狭められ、奪われる可能性が、少女の小さな体に重くのしかかっている。
ただ妖精に好かれている家に生まれたという理由だけで。
レオナはそっと目を伏せる。
誰だって、生まれは選べない。
それを嘆く者もいる中で。
少女は持って生まれたものを受け入れ、自ら窮屈で苦労に塗れた未来を選ぼうとしている。
「……お前は、ローエンの跡を継ぎたいのか」
「そうよ、わたし、おじいさまとおんなじりっぱなにわしになるわ!」
「――そうか」
少女は朗らかに笑った。
妖精の加護を持ち、その加護に関連した能力を生業としている職人は全国的に見ても少ない。
妖精から加護を受けられること自体が、そもそも希少なのだ。
少女がそれと上手に付き合えるようになれたならば、きっと彼女は夢を叶えるだろう。
レオナは少女を見下ろす。
レオナの腰ほどの高さしかない、小さな体。
これから先どんどん大きくなっていく、可能性に満ちた体だ。
「……あとは、気持ちと努力次第だな」
「? なにかいった?」
それを持つが故に、悩まされていても。
それを持つからこそ、手に入れられるものもある。
レオナはスラックスのポケットの中を探った。
指先が目当てのものに触れたので、それを取り出す。
手のひらに収まるほどの大きさのそれは、ラギーが昼食を購入した際の領収書だ。
……まぁ、書ければ何でも良いだろう。
マジカルペンのキャップを外すと、レオナは領収書の裏側にサラサラと文字を書き込んだ。
「……お前、今七歳だったな?」
「七つよ、それでおじいさまが」
「あぁ、細かいことはもうわかったから良い。それより、早くても十年後か? まぁ何年後でも構わんが、お前が一人前になって、庭師としての仕事を請けられるようになったら、ここに来てこの名前を出せ」
言いながら、文字を書き込んだ紙切れを少女の手に握らせる。
少しよれた紙にはレオナの故郷の名前と、レオナ自身の名前が記されていた。
「お前がそのとき俺のお眼鏡に叶うくらいの腕前になれてたら、雇ってやるよ。王室専属の庭師として、な」
「おうしつ?」
「あー、王宮……城だ」
「おしろ? おにいさん、おしろの人なの?」
「そうだ、しかもそれなりに偉い」
「えらいの?」
「…………あと、強いぞ」
「えらくて、つよい人なのね」
「そうだ、偉くて強い」
最後の補足は完全に出来心である。
子どもは自由奔放で話をろくに聞かない者も多いが、これまで話した限りでは少女はずいぶんと聞き分けが良い。年齢の割に、理解力もある。
レオナが目の前の小さな頭を撫でてやると、少女はくすぐったいわと体を揺らした。
「まぁ、実際に働くかはお前が決めろ。他に働きたい先があるなら、それでも良い。とりあえずそのときになったらお前は俺からの提案について、どうするかを考える。そうする予定だってことが大事なんだ。それが、俺とお前との『約束』になる」
「『約束』?」
『約束』を結べば、それは未来へと繋がる縁となる。
たとえ妖精であろうと、それに手を出すことも、断ち切ることも容易ではないだろう。
加えて、少女にはレオナの名前を刻んだ紙を渡した。名は呪となり、それを持つことで『約束』との相乗効果でお互いを結ぶ縁がさらに強固になると考えられた。
どれほどの効力があるかは未知数だったが、何もないよりかは過ごしやすくなるだろう。
少なくとも、万が一少女が妖精の側へ引きずり込まれそうな事態が起こっても、少女がそれをただ受け入れることを良しとする前に、こちら側へ留まりたいと思える理由くらいにはなって欲しいものだ。
「この紙、後で爺さんに話して肌見離さず持てるようにしてもらえ」
「どうして?」
「お守りくらいにはなる」
少し離れたところからクロウリーとローエンの話し声が聞こえてくる。
この珍妙な巡り合わせの時間も、そろそろお開きのようだ。
レオナは立ち上がると、少女を小脇に抱えた。少女はきょとんとした顔でレオナを見上げたが、特に暴れる様子もなく、大人しく身を委ねている。
「ちゃんと励めよ」
「?」
「ガンバレってことだ」
「わかったわ! わたし、たくさんがんばっていつかおにいさんをびっくりさせてあげるわね!」
「そりゃ楽しみだ」
立ち並ぶ木々の合間から、ローエンの姿が覗く。
ローエンに気がついた少女が、弾んだ声で祖父を呼んだ。近くまで来てから降ろしてやると、少女が駆けていく。
ローエンの元へとたどり着いた少女が、レオナとの『約束』と、先ほどの出来事について話し始めた。
最初は微笑ましげに耳を傾けていたローエンだったが、次第にその表情は驚愕の色に染まっていった。
これはローエンとて予想していなかった展開だろう。レオナはローエンを出し抜けたことに、なんとなく胸がすく思いだった。
あんぐりと口を開けたローエンがレオナを凝視する。
「き、キングスカラー殿?」
「そういうことだ。精々腕を磨かせておけよ」
「……ありがとうございます」
その礼がどれに対するものか、レオナは問い返さない。その代わりに、頭の片隅に引っかかっていた『もしも』を尋ねてみる。
「お前、俺が目の前で子どもが連れ去られそうになっても見過ごすような冷酷無比な奴だとは考えなかったのか?」
「はっはっ、貴方はそのようなお方ではないでしょう」
「何を根拠に……夕焼けの草原の第二王子の噂も知ってんだろ」
「噂は噂でしかありませんよ。貴方はとても聡明で、お心の深いお方だ。このように、目を見て話していればわかりますとも」
「…………」
「この子と話されている姿を見ても、やはり何も不安に思うことはありませんでしたよ」
「……フン」
レオナの尻尾がゆらりと揺れた。それを視線で追いかけた少女が、レオナを伺うように見上げてくる。
レオナは気づかなかったふりをした。
少女はレオナから『おゆるし』をもらえないと悟り、つまらなさそうに地面を蹴った。
「……ソイツには俺の名を記した紙も渡した。いつも身に着けてろとは言ったが、それで妖精の機嫌を損ねそうならどこかに保存するだけに留めておけ」
「なんと、そこまで……」
「どこまで効果があるかは定かじゃないがな。全く役に立たなくはないはずだ」
「しかし、この子はまだ幼い。今日のことをどれほど覚えていられるやら……」
「あぁ、まぁ確かに」
「わたし、わすれないわ!」
少女が心外だ、と眉を吊り上げて頬を膨らませる。本人はすごんでいるつもりなのだろうが、全く迫力はない。
そんな小さな影を見下ろしながら、レオナは考える。
少女の記憶の中に、もう少し今日のことを印象付けておくか。できれば、妖精を見かけるたびにレオナのことを思い出すくらいに。
「…………」
レオナは唇を尖らせている少女の前に膝をついた。
少女の小さな手をすくい上げ、これまた小さな手の甲にそっと口づける。
そして、己の顔のパーツを存分に活かした微笑みを意識し、とびきり甘い声で囁く。
「――出会いに感謝を」
少女が瞠目した。
少女の後ろからローエンの悲鳴のような声が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにする。
少女くらいの年頃であれば、これは効果的だろう。
「『約束』、忘れるなよ?」
レオナが口角を上げて念を押すと、少女の頬がほわ、と桜色に染まった。
「おにいさん、王子さまみたい……」
ポツリと零された感想に、レオナは堪えきれずに吹き出した。
恭しく手を取りかしずいたレオナが正真正銘の王子だと少女が知ることになるのは、果たしていつになることやら。
その頃には少女もきっと今よりも成長していることだろう。
レオナは少女の驚く様を想像し、ひっそりとほくそ笑んだ。