花笑みのプローミッサ Chapter.3 花笑みのプローミッサⅢ 3

 中庭での一件が解決してから数ヶ月後。が夕焼けの草原へやって来てから、約半年が過ぎた。一時は工事もストップしたために工期もだいぶ遅れてしまっていた。しかしは新たに契約した妖精からも力を借りることで大幅に作業時間を短縮することに成功したらしく、見事遅れを取り戻し当初の予定通り工事を完了させてみせた。

 そして今日、レオナは初めて完成後の中庭を見に来た。

 ぼろぼろで苔まみれだった中央の噴水もすっかり綺麗に修繕され、すでに水も引かれている。噴水の周りには色とりどりの見目麗しい花が咲き誇り、側に置かれたベンチに座れば美しい景色を楽しむことができる。そんな庭の一角――少し奥まで進んだところに、それはあった。

「へぇ、思っていたより立派だな」

 が以前手直しした設計企画書には、小さな温室を作るという部分が追加されていた。外から見た様子は、確かに規模としては小さめではあったが、作りもしっかりとしており建物のデザインも悪くない。

 は早く早くとレオナを急かしながら進んでいき温室の入り口前までたどり着くと、今度はもったいぶるようにゆっくりと扉を開いた。そして。

「これは……」

 眼前に広がった光景に、レオナが目を見開く。レオナの反応を見て、がにんまりと笑みを浮かべた。

「これだけの植物を入れるのは、なかなか骨が折れたのよ。環境を調整できるとはいえ限度もあるし、全部を再現できたわけじゃないけど」
「……懐かしいな」

 レオナとの目の前には、温帯を中心に生息する花々が咲き誇っていた。

 黄色。白。赤。種類の異なる、色とりどりの花たち。

 その光景はまるで、レオナとが初めて出会った、あの場所のようで。レオナがを救ったあの場所。二人にとっての始まりの場所が、そこに在った。

「あの植物園、貴方のお気に入りだったんでしょう? 誰にも邪魔されずに、ゆっくり休みたいときにも、考え事をするときにも、色んなときにあそこで過ごしていたって聞いてるわ」

 がサクサクと芝生を踏み鳴らしながら、レオナの隣に並ぶ。

「あのね、レオナさん、私ね。レオナさんが好き」

 からの突然の告白に、レオナがぐっと眉を寄せる。

「私にはもう、レオナさん以外の人のために生きる未来を考えられない。レオナさんは、レオナさんだけが、私に初めて『唯一』を教えてくれた人」

 が照れくさそうにはにかむ。

「だからね、私は貴方に……貴方だけの、貴方が安らげる場所と時間をあげたいと思ったのよ」

 が笑う。レオナが眩しいと思って目を背けたくなったその顔は、今はただ、綺麗だと。そう思った。

「――……」

 レオナは芝生の適当な場所を手で均すと躊躇うことなくゴロリと横たわった。が満足そうに頷きながら、自身もレオナの隣に腰を下ろした。天蓋から差し込む温かな日差しが、二人に降り注ぐ。その光を、レオナはぼんやりと眺める。

「……もう認めるしかねーな」
「? 今何て言った?」

 独りごちるように呟いたレオナの言葉は、には聞き取れなかったようだ。

「――いくら期待したところで、頑張ったところで、結局全部が無駄になる。裏切られる。それがわかったときから、期待することを止めた」
「…………」

 は何も言わない。ただ静かに、レオナの言葉に耳を傾けている。

 レオナが生まれた瞬間から、レオナの未来は決められていた。

 まだ幼い頃、それを理解していなかったレオナは気が付かなかった。一年、二年と王宮で過ごしていくうちに、少しずつ悟っていった。レオナがどれだけ優秀さを見せつけようとも、人々は兄を褒め称えた。未来の国王であることを決められていた兄だけを慕い、敬い、求めた。レオナの心は次第に荒れていった。そしてそれと比例するように、人々はレオナから離れていった。

 それでもレオナは諦めなかった。

 多くの時間を勉学に費やし、体を鍛え、魔法の腕だって必死に磨いた。レオナの努力はやがて成果になって現れたが、レオナが選ばれることはなかった。どれだけ努力しても、レオナは誰からも認められることはない。それに気が付いた瞬間から、レオナは諦めた。無駄な時間を過ごしたと思った。どうせ全てが徒労に終わるのならば、楽な生き方をした方がずっと良いと思った。怠惰に。自由に。

 それなのに、レオナが生まれた王宮は。レオナの中に流れる王族の血が。レオナが逃げることを許さなかった。

 レオナを認めることもしないのに。王族としての責務を果たせと、レオナがただのレオナとして生きることを許してはくれなかった。

 NRCに入学し一度王宮を離れたとき、その居心地の好さから抜け出したくなくなった。弱肉強食。強さだけが絶対の実力主義。弱きは屈し、強きを崇める。シンプルで理想の世界。王宮ではどれだけ実力を示そうが決して一番にはなれなかったレオナでも、あの場所では確かにトップだった。だからこそ、粘り続けた。いずれは王宮に戻らねばならないとわかりつつも、ギリギリまで居座り続けた。

 そうして学園を卒業してから戻った王宮で、レオナはもう一度あの絶望感を味わう羽目になった。

 国王一番だけを称え、崇め、奉る国。媚びへつらいながら腹の底でレオナを厭う大臣ども。もう何もかもがどうでも良くなった。レオナは不公平が煮詰められたこのくだらない世界で生き、死んでいくのだと。そう思っていた。

 そうして何年もの無為な時間を重ねていたレオナの元に、はやってきた。『憧れ』という言葉でレオナを称えるの目に浮かぶ色を見て、レオナは「あぁ、またか」と思った。いくらレオナが『嫌われ者の第二王子』だとしても、その立場と権力は確かなものだ。だからそれらのおこぼれに与ろうとレオナに取り入ろうとする者は後を絶たない。しかし彼らは、始めはレオナを慕い敬っていたにもかかわらず、ときが経てば皆同様にレオナの先にあるもの――王族、ひいては王太子や国王といった、レオナの前で輝き続ける存在の方を求めるようになる。レオナはしょせん、光を支える土台でしかない。誰だって『二番』よりも『一番』を選ぶ。

 王宮という閉じられた世界の中で生きてきたレオナは知らなかった。あの日までレオナを知りもしなかった、レオナをレオナたらしめてきた王宮とは無関係の『外』の人間が、こんなにもレオナを想い続けてくれるなどと考えたこともなかった。どうせそのうち飽きるだろうと。目が覚めるだろうと高をくくっていた。どうせも、他の連中と同じように変わっていく。レオナ以外の、選ばれる存在を求めるようになる。

 期待するだけ無駄だと、そう思っていたのに。

 それなのには頑なに譲らなかった。絆されなかった。

 レオナが体を起こし、に顔を寄せる。

「責任取れよ。お前が俺にもう一度思わせたんだ」

 一度は忘れたはずなのに、レオナは思ってしまった。

 この少女ならば、と。期待してしまった。

「俺がお前にとっての『唯一』だって言うんなら。これまでも、これから先も。お前は」

 お前だけは。

 変わらないでくれ。

 想い続けてくれ。

「俺にとっての『唯一』でいろ」

 レオナを『唯一』たらしめてくれる、『唯一』の存在。

 レオナが右手を伸ばす。戸惑っている様子のの頬に触れ、親指で小さな唇をなぞる。そのままゆっくりと顔を近付けていき、それでもなおぱちぱちと瞬きを繰り返すだけのに焦れたレオナがむすりと指摘する。

「……おい、目、閉じろよ」
「ぅえ!? え、な、何で!? 」
「何でって……この流れでしようとしてることを察しろよ」
「流れ!? え、待って、私今理解が追い付いてなくて、え、あの、さっきの、レオナさんの『唯一』ってどういうい――」

 の言葉が不自然に途切れる。

 わずかな間重なった唇を離して、レオナは名残惜しさを伝えるようにの下唇を軽く食んだ後、ゆっくりとから顔を離した。

「こういう意味だ」
「…………」

 は固まっている。瞬きも忘れ、顔や耳を真っ赤に染め上げて、わずかに口も開けたまま呆けている。

 さすがに急すぎたか。レオナはがりがりと首の後ろを掻くと、だらりと体の横に下ろされたの細腕を掴んで引き寄せる。の頭をレオナの首元に顔を埋めさせるように抱きかかえると、そこではようやく反応を示し声にならない悲鳴を上げた。



「……おい」
「…………」

 レオナがいくら呼びかけても、膝を抱えたはむっつりと黙り込んだまま前を見据え、レオナの方を向こうとしない。髪の隙間から覗く目にはうっすらと涙が滲んでいる。そんなに嫌だったのか。レオナは少しショックを受けた。

「悪かった。勝手にして。機嫌直せ」
「別に……怒ってないわよ……」
「怒ってんじゃねーか、そのふくれっ面は」
「だってっ」

 が顔を真っ赤にしてレオナの方へ振り向く。

「おじい様に怒られちゃう!!」
「は?」
「きっ、キスは! 恋人としかしちゃダメだって!」
「…………」
「おじい様、怒るとすっごく怖いんだから !! どうしよう、おじい様の言いつけ、守らなかったって知られたらきっと家に連れ戻されちゃうわ……!」
「……黙っておけば良いだろ」
「私がおじい様に隠し事できるわけないじゃない!」

 の言い分にも一理あった。確かにほどのわかりやすさなら、言葉を交わすどころか顔を合わせた瞬間に感づかれそうである。特に身内であり、幼い頃からのことを可愛がってきた祖父には一瞬で見抜かれるだろう。レオナは小さく息を吐いて、の頭をぐしゃりとかき混ぜた。

「別に怒られねーよ」
「だからおじい様は――」
「恋人なら良いんだろ?」
「……へ?」

 恋人としかキスをしてはいけないという言い付けならば、相手が恋人であったならその言い付けは守ったことになる。言えば、は「確かにそうね……」と納得して頷いた。

「――順番くらいは、なんとか誤魔化せよ」
「え、ンム」

 レオナが口にした言葉の意味をまだ完全には理解していない様子のの口を、隙を見て塞ぐ。

「ま、ン、まって……」

 が制止しようと口を開くのも無視して二度三度と繰り返せば、とうとうしびれを切らしたが腕を突っぱねてレオナの胸を押し返した。

「待ってってば!!」
「チッ」
「舌打ち!? あ、いや、それはともかく、なんでまたしたの!?」
「恋人だから」
「……誰と誰が?」
「お前と、俺が」
「…………揶揄ってる?」
「さすがにそこまで腐ってねーよ」

 自分よりも一回り以上も若い女を冗談で弄ぼうとするほど、ひねくれてはいないつもりだ。心外だと眉を顰めれば、は顔を真っ赤に染めて狼狽えた。あれだけ好きだなんだと言っていた割に、こうなる展開は予想していなかったらしい。しかし不意に何かに気が付いたように目を瞬かせると、勢いよく顔を上げてレオナに詰め寄った。

「でも、レオナさんの恋人になったら私、もしかして庭師になれない!?」
「あ? まさかお前、俺より仕事を取る気か」
「そうじゃないけど! 私、ここで庭師にもなりたいわ……」

 眉を下げ、この世の終わりと言わんばかりの顔をしたはレオナの服の袖を掴むと絞り出すような声で言った。

「雇って……もらえない? あ、そういえばまだこの中庭の出来栄えがどうなのか、聞いてなかったわ……」

 レオナはじっとを見下ろす。にとって庭師という職業が人生をかけるほどに大事なものだということはわかる。第二王子の恋人が、庭師。前代未聞ではあるが、まぁどうにかできないこともないだろう。不安そうに窺ってくる小さな頭を、レオナはぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

「ちゃんと雇ってやるよ。なんせ、第二王子に最高の昼寝場所を提供してくれるような立派な庭師だからな」

 レオナがニヤリと口角を上げれば、は顔を輝かせた。しかしレオナの言葉に思うところがあったのか、すぐに眉を顰め「それ、庭師の腕は関係なくない?」と不満そうに唇を尖らせる。

 レオナはの表情に、さすがに気付いたかと喉を鳴らして笑った。揶揄われたが唇を尖らせたままこれみよがしに頬も膨らませたので、レオナは丸まった頬を顔ごと片手で掴む。押し潰されたの頬は、ぽひゅ、と間抜けな音を立てて元の大きさに戻った。

「そっちの意味でもちゃんと認めてやるよ。贔屓目も無しにな。実際、これだけ立派な景観の庭を造れるその腕が申し分ないのはわかる」

 そのままレオナがもちもちとの頬を弄んでいれば、じとりとレオナを睨みながらもされるがままになっていたの懐から小さな妖精たちが顔を覗かせた。その二つの顔はまるでで遊ぶなとでも言いたげだ。は着実にこの妖精たちと良好な関係を築けているようである。

「少し眠る。膝貸せ」
「えっ、それなら枕でも取ってくるわ……って、ちょっと! 寝るの早!?」

 唐突にの膝に頭を乗せ寝転がったレオナに、が戸惑い引き離そうと試みる。しかし、一度寝る姿勢に入ったレオナはそうやすやすと起き上がりはしない。

 微動だにしないレオナとしばらく格闘していただったが、目を閉じたレオナがてこでも動かないと悟ると観念したように腕から力を抜いた。

 「昼寝用の枕も置いておくべきかしら……それなら布団もあった方が……いや、芝生に布団を敷くのもおかしな光景ね」などとぶつくさ独りごちている声を聞きながら、レオナはお前が俺の専属膝枕係になれば良いだろう、とからしてみれば不名誉極まりないであろう役割を心の中で勝手に任命しながらも言葉にはしなかった。

 代わりに、そわそわと落ち着かない空気をまとい宙をさ迷っていたの手がレオナの耳に触れかけた瞬間を狙って「少しだけだぞ」と釘を差した。

 はレオナが起きていると思っていなかったのか、驚いたように息を詰めた。しかしすぐに居住まいを正すと、はもう一度恐る恐るレオナの耳に指を伸ばす。そのままが耳に触れてくる感覚に懐かしさを感じ、レオナはくつりと喉を鳴らした。

 もぞもぞと柔く触れられるむず痒さは、あのときと同じだ。それでも、嫌な気はしなかった。

「……一時間経ったら、起こせよ」

 の返事を聞いたレオナは、身を包む心地好さに誘われるまま、今度こそ深い眠りの底へと落ちていった。

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Chapter.3 花笑みのプローミッサⅢ【完】