花笑みのプローミッサ Chapter.3 花笑みのプローミッサⅢ 2-3

* * *

「あいわかった」

 ふむふむと頷きながら妖精から話を聞いていたリリアが「まずは場所を確かめるかの」と一行に移動を促した。リリアの言うまま三人は離宮から王宮へ移動し、さらに王宮の門の外まで行こうとしたリリアをレオナが止める。レオナがどこへ行く気だと問い質せば、リリアは「王宮の近くに、全ての原因となった花があるそうじゃ」と答えた。が首を傾げる。

「花……?」
「出るなら門からだと面倒だ。こっちから行くぞ」

 くるりと身を翻したレオナに着いていけば、裏門のような出入口にたどり着いた。レオナはごくごく自然に扉を開けて出ていこうとするが、とラギーは思わず「ここ、もしや王族専用の秘密の抜け道では……?」と冷や汗をかきながら顔を見合わせた。

 リリアの案内で一行がたどり着いたのは、大きな森に面した小さな丘だった。ところどころ乾いた地面がむき出しになっており、草花はほとんど見当たらない。しかし中央付近に、瑞々しい葉の中で控えめに桃色の花弁をつけた小さな花があった。その形はごくごくありふれた花にも見えたが、良く見てみると七枚ある花びらは細長く、その先端はそれぞれ小さく割れている。

「……初めて見る花だな」
「可愛い!」
「こんな近くに珍しい花があるなんて聞いたことないッスね」
「妙だな」
「フム。認識阻害の魔法がかけてあるのぅ。人目に付かぬよう対策しておったのじゃろう。人間に見つかってしまえば、荒らされる可能性もあるからの」

 妖精は何も答えない。

 リリアは小さく息を吐いた。三人に向き直ると、仰々しい口調で妖精から聞いたという話を語り始める。

「昔々の話じゃ」

 曰く。

 はるか昔。それも、今は夕焼けの草原となっている地域一帯が一つの国ではなく、ただの小さな村でしかなかった頃のこと。妖精はとある男と契約を結んでいた。妖精は男は、二人でともに生きていくうちに、やがて種族という隔たりを超えた感情を持ち始めた。しかしそんな中、二人が暮らす一帯に雨が降らない時期が続き、大規模な干ばつが起こった。当然、住人たちは水不足に苦しみ、植物が育たぬせいで溜めていた食料も底を尽き、飢えと渇きに人々は斃れていった。妖精と契約していた男も、例外ではない。やせ細り衰えていく男を前に、妖精は成す術も無かった。

 妖精は植物を司る種族だ。しかし、できることは限られている。妖精は植物の成長を助けることはできても、植物が成長するために必要なものを生み出すことはできない。健康な土も、水も無い状態では、何もできなかった。そして、妖精自身は生きるために食事や水を必要としない。己の中の魔力が尽きない限りは、生き続けることができる。

 次々と住人たちが亡くなっていき、妖精が見守ることしかできない中、ついには男も息を引き取った。最期まで、満足に食事も摂れず、水すらも口にできず。苦しみの中でその生涯に幕を下ろした。

 妖精は何もできなかった己を恨んだ。

 恨んで、憎んで、悔やみ続けて。

 男が息を引き取った場所にいつまでも留まり、何年も、何十年も、何百年も、嘆き続けた。そしてとうとう妖精の魔力が尽き、実質的な死を迎える瞬間がやってきた。妖精は亡くなるとき代替わりをするという種族が多い。その妖精の魔力が尽きた後妖精の姿は消えていき、その場には一つの種子が残された。種子は水も栄養も必要とせずただ時間の経過とともに芽吹き、花を咲かせ、また元の妖精と同じ姿をした妖精が生まれてきた。新しく生まれた妖精は、以前の記憶を引き継いでいた。それは何度代替わりを繰り返したところで、変わらない。妖精が永い年月の中で重ねてきた負の感情は、永遠に無くならない。

 愛した男が死んでいく様子を、ただ眺めていることしかできなかった自分。後悔も、己への恨みも消えることなく残り続ける。何度も繰り返す時間の中で、ある日妖精は思いついた。どれだけ願っても、時間は巻き戻せない。男を失った事実も覆ることは無い。それならばせめてもの贖いに、罪滅ぼしに、男が眠るこの場所に、男が生前望んでいた全てを贈り続けよう、と。

 妖精はまず、種を植えた。生前の男が好んでいた花の種を。その頃にはすでに、夕焼けの草原という一つの国ができ上がっていた。あれほど男が望んでいた水も、とうの昔に手に入るようになっていた。植物も自然と育つことができるほどの環境に戻っており、それ故に、妖精が花を育てるのは容易だった。妖精はときおり成長を促してやりながら見守る中、やがてそれは美しい花を咲かせた。花が枯れても、実から種を取り出し、もう一度植えた。それを何度も繰り返し、その地には同じ花が咲き続けた。しかし、この地域にははるか昔から、雨季と乾季が存在している。乾季の間はほとんど雨が降らず、どの場所も乾燥していく。妖精が花を植えた場所も、乾季になると土が度々水分を失ってしまうことがあった。さらに運の悪いことに、その場所の土は特に乾きやすい質をしていた。そうなると、花を咲かせ続けるために他所から必要な分の水を調達する必要がある。

 妖精には生きる上で様々な制約があり、その妖精は『水に触れることができない』という制約を負っていた。魔法を使えば水自体を動かすことはできるのだが、それを行うためにはある条件があった。それは『一度植物が吸収した後の水しか運べない』というものだ。つまり、妖精が花の元へ水を運ぶためには、その水を一度吸収した別の植物が必要になる。しかし元の植物から根こそぎ水を奪ってしまえば、その植物は枯れてしまう。だから妖精は、花の植わっている場所の周囲を飛び回り、ときに何キロメートルも離れた先まで植物を探しに行き、花を咲かせ続けるために必要な水を運び続けた。何年も、何十年も、何百年も。妖精自身が何度代替わりをしても、同じことを繰り返し続けた。

 しかし夕焼けの草原が国土を広げ、国としての地位を確立していくにつれ土地の開発も進んでいき、妖精が水を手に入れるための植物も数や場所が限られていった。そんな中、妖精が守る花の側に、王宮が建てられた。王宮の庭では多くの植物が育てられた。しばらくは妖精にとっても良いことでしかなかったのだが、王宮の庭は徐々に魔法で管理されるようになっていき、結界も張られてしまったせいで妖精が魔法で干渉することが難しくなっていく。妖精は再びあちこちを飛び回り、水の確保に奔走した。王宮からも、結界が張り直される間のわずかな隙を狙ってこっそりと侵入し、魔法で管理されていない植物たちから水を手に入れていた。一度侵入した後はまた結界の隙間ができた際に出ていくしかないのだが、ある程度の距離であれば妖精が離れていても目的の場所までは水を届けることが可能であり、水脈を介し移動させることで魔力の消費も最低限に抑えられるので、基本的には王宮内部からそれらを行っていたとのことである。そして離宮の中庭が王宮の管理下から外された後は、主にそちらから水を限界まで手に入れていたらしい。

「それで、植物を植える度にが枯れてしまってたのね……」
「特にこの地域では土地柄、乾燥に強い植物が多い。少ない水で事足りてしまう植物から得られる水は微々たるものだそうじゃ。それ故に最近は水を手に入れにくくなったようで、離宮に新しい植物が植えられなくなってからも虎視眈々と隙を狙っていたわけじゃな」
「理屈はわかるッスけど、ずいぶんとまぁ執念深いというか」

 それまで黙って話を聞いていたレオナが、口を開く。

「作り話の可能性は?」
「それはないじゃろう。わしを謀ろうとすればどうなるかは、こやつ自身もよぉくわかっておるじゃろうからの」

 リリアが目を細めて妖精を見やる。妖精はびくりと身を竦ませ、鳥かごの隅に身を寄せて震えている。そんな妖精の姿を見て、が眉を下げながらぽつりと呟いた。

「少しだけ、わかる気がするわ」

 リリアやレオナ、ラギーたちその場にいる全員の視線が向けられ、は思わず少し身を引いた。

「誰かの……特別な人のために何かをしてあげたいって気持ちは、きっと一度持ってしまったらそう簡単には無くせないもの」

 それこそ、がレオナへ向けている想いのように。たとえ独善的でエゴでしかない気持ちだとしても。何もできない自分のまま、じっとしていることだけはしたくない。は庭師というにしかできないことで、レオナの役に立ちたいという目標を見つけた。そのために必要なことを片っ端からがむしゃらにチャレンジしてきた。にとっては短くない十一年間という時間を、全てそのために捧げてしまえるほどに、その願いは強かった。

「……本当、熱烈ッスよねぇ」

 ラギーが横目でレオナを見やりながら、呆れた調子で独りごちる。レオナはラギーの言葉は聞こえていたが、何も言わなかった。ただの頭に手を乗せ、リリアに問い詰める。

「コイツが襲われた理由は?」

 そういえば、リリアはこの妖精は植物からしか水分を奪えないと言っていた。リリアが妖精に尋ね、小さく頷く。

「この者が言うには、植物と魔力が繋がっていたかららしいの。お主、そこな妖精と契約しておるじゃろ。稀にあるんじゃよ、契約している妖精を介して、その妖精と縁のあるものと魔力が繋がってしまう現象がの」
「へぇ、面白いわね」

 のん気に感嘆の声を上げれば、気に入らなかったのかレオナがこつりとの頭頂部を小突いた。

「して、どうする? 茨の谷へ連れ帰ってこちらで対処しても良いが」
「それだと、その子はどうなっちゃうの?」
「うむ。如何なる理由があろうとも、事実としてこやつは人間を傷付けた。相応の処分を受けることにはなるじゃろうな」
「そんな……」

 がレオナを見上げる。レオナはが言わんとしていることがわかっているのか、ため息を吐いた。

「ねぇ、私はもうこんなにピンピンしてるわ。だから――」
「だから、無罪放免、見逃せってか?」

 レオナがを見下ろし、それから妖精を見やる。

「不可能だな」

 妖精は王宮に、そして王宮に仕える者に危害を加えた。間接的とはいえど、王族へ喧嘩を売ったも同然の行為だ。何らかの処罰は必要になる。しかし、相手が妖精となると少々複雑だ。夕焼けの草原における法の下で妖精を裁くことは難しい。

「この件はリリア、お前に預ける」
「レオナさん!」

 がレオナに縋り付く。

「なんだってソイツを庇いたがるんだ。結果的に助かったとはいえ、お前は死にかけたんだぞ」
「だって……」

 にとって、妖精はずっと身近な存在だった。そのせいで嫌な思いをしたこともあるが、妖精と過ごせるお陰で得られたものも、経験できた時間だってあった。特に、今回の犯人である妖精は種族が違うとはいえとも縁の深い植物の妖精だ。完全に関係がない相手とは、割り切れない。

 の腕の中に大人しく収まっている妖精も、どことなく寂しそうにもう一人の妖精を見つめている。は何か方法は無いかと思案して、ある考えにたどり着いた。

「じゃあ、私がその子と契約するわ!」

 『縛り』として契約するのであれば、それは妖精にとって贖いになるのではないかと考えたのだ。身を乗り出して訴えたに、リリアが目を細める。

「それはつまり、お主の残りの一生の間、そやつを縛り続ける覚悟があるということかの?」

 リリアの言葉に、が一瞬たじろぐ。

 妖精との契約は意図的に解約するか、どちらか片方が亡くなった場合に無効となる。しかし、『縛り』として契約を課すのであれば、それを途中で解くことはできない。が命尽きるまで、この妖精と繋がり続ける必要があるのだ。

 それは何年先になるかもわからないその日まで、この子の自由を奪うということだ。それはこのままリリアに連れていかれて妖精たちのルールの中で処罰を与えられることと、どちらの方がましなのだろうか。

「……貴方は、どちらが良い……?」

 がリリアの抱える鳥かごに近付き、尋ねる。本当なら、選択肢を限ることなく今後も妖精の好きにさせてあげたい。もちろん、もう二度と誰かを傷付けてしまわないように約束をした上で、ではあるが。しかしレオナもリリアも、それは許されないと言う。それだけのことを、この妖精はしてしまったのだ。妖精はをじっと見つめた後、へ近付き手を伸ばした。

 いつの間にかの横に来ていたレオナがの腕を引いて、妖精から距離を取らせる。

「だ、大丈夫よ。もう傷付けようだなんて思ってないものね?」

 慌てて妖精をフォローすれば、妖精は悲しそうな顔をして頷いた。ほら、とレオナを見上げるにレオナは大きくため息を吐いた。

「リリアさん、この子はどうしたいって言ってるかしら……?」
「『もし契約を結べば、これからもこの花を育てさせてくれるか?』と聞いておるな」
「あぁ? この期に及んでずいぶん厚かましいな」
「妖精じゃからのう」
「レオナさん、この花、このままにしておける?」
「…………はぁ、お前が責任持って管理するっつーなら、この場所を部分的に王宮の所有地に申請はしてやる」
「ありがとう!」

 顔を輝かせてレオナに礼を述べたは、鳥かごの中の妖精に向かって「これからもあの花を育てられるわ。私も手伝わせてくれる?」と笑いかけた。妖精は嬉しそうに顔を綻ばせて、何度も強く頷いた。

「決まりじゃな。ではさっそく――」
「あ、でも……確か複数の妖精とは同時に契約はできないのよね。私、こっちの子とも契約してて……」
「あぁ、契約なら一つに限らずできるぞ」
「できるの !? 」

 驚いたが、リリアに詰め寄る。

「簡単な話じゃ。妖精との契約には色々と種類があるが、お主の場合は魔力同士の糸を繋いでおるようじゃの」
「魔力の、糸……?」
「うむ。なればその糸を、増やしてやれば良い」
「……どうやって?」
「そこはほれ、『いまじねいしょん』じゃ」

 魔法のように、想像力で何とかしろとのことらしい。

「その妖精と契約を結んだときはどうやったんじゃ?」
「おじい様に教わって、こう、手と手を合わせて――」
「同じことをすれば良いだけじゃ。ほれ」
「あ」

 元々契約を結ぶ妖精と手のひらを合わせるのもう片方の手を掴んだリリアが、もう一匹の妖精とも手のひらを合わせさせる。瞬間、と二匹の妖精を包み込むように周りがキラキラと輝きだした。少しして、光がの体の中へと収束していく。リリアが満足げに親指を立てた。

「契約完了じゃ!」

 は困惑した顔でレオナとラギーに助けを求めた。レオナは「なるほどな」と感心したようにと妖精たちの様子を観察しているが、ラギーは同様、理解が追い付いていないと肩をすくめた。

「さて、契約についてじゃが」

 リリアが補足するように口を開く。

「こやつが悪さをしておった間と同じ期間の無償労働が必要になる」
「…………」

 それはこの花を育て始めたときから、ということだろうか。つまり実質的に、と契約している間この妖精は対価も得られないままへ協力し続けなければならないということになる。

「それ、契約する前に言ってあげて欲しかったわ……」
「この縛りも『ぷれぜんと』には、適用されんがの」

 リリアの言葉に、がバッと顔を輝かせた。その意味は、が好意で渡す魔力については、この妖精も受け取れるということだ。の目を見て、レオナが呆れた様子で「ほどほどにしておけよ」と釘を差した。

 リリアが鳥かごのふたを開けると、妖精はすぐにの方へと飛んでいった。元々と契約していた妖精と何やら挨拶のようなものを交わし、二人一緒にの肩へと降り立つ。並んでちょこんと腰かける様子は、何とも可愛らしかった。

「そういえば、貴方が使える魔法は『植物から水分を移動させる』魔法、ってことよね?」
「正確には『植物間で土を介して水分を自由に移動することができる』じゃな」
「本当 !? 」

 が瞳を輝かせる。移動させられるのが一方通行でないのなら、可能なことが増える。

「それって、やり方によっては植物の成長に必要な水分を自由に調節できるってことでしょうっ?」

 植物を育てるにあたって、まんべんなく育てることが困難な際には成長させる花や実を選別する必要が出てくる。しかし吸収させる水分を植物間で操作できるのであれば、まんべんなく育てるということが可能になってくる。もちろん景観を優先するのであればときには選別することもあるだろうが、そうでない場合には間引く必要そのものが無くなるのだ。

「魔力を使いすぎるなよ」
「もちろん、わかってるわよ」

 にこにこと答えるを、レオナは疑わしげに見下ろした。そんなレオナに対しては「そういえば」と切り出した。

「またレオナさんに助けられちゃったわね」
「また?」
「さっき、妖精が攻撃してこようとしたときよ。ありがとう」

 はにかみながら礼を述べたに、レオナが眉を顰める。

「アレは俺じゃねーぞ」
「え、でも確かに防衛魔法の陣が……」

 困惑した顔で見上げてくるの首元にレオナが手を伸ばす。

「コレ、着けてたんだな」
「あっ」

 レオナの指は、が首から提げていたペンダントの宝石に触れている。

「コレには向かってきた魔法に反応して一度だけ防衛魔法が発動する仕掛けが施されている。式典の間は襲撃を受けやすいからな。万が一に備えて、王族は必ず護身用の装身具を一つ以上身に着けることになっているんだ」
「えっ、聞いてないんだけど!」
「まぁいざとなったら勝手に発動するしな。やたらと気に入ってたから……水を差すようだから伝えなくても良いかと」
「あ……だ、だって、綺麗だったんだもの」

 がレオナから目を逸らして、呟く。俯いた髪の隙間から覗く小さな耳は、桜色に染まっている。

「レオナさんの、瞳の色にそっくりだから……」
「…………」
「…………」
「…………っく……」

 どんなときでも、どこまでもレオナのことを意識しているに、レオナは笑いを堪えようとしたが叶わなかった。

「〜〜わ、笑うなら思いきり笑ってよっ!!」

 は顔を真っ赤にしてレオナに詰め寄る。レオナはをいつも揶揄うときのようにこ憎たらしい笑みを浮かべていると思ったが、実際に顔を上げたレオナはの予想していなかった表情をしていた。

「お前……本当に俺のこと好きなんだな」

 眩しいものを見るときのように目を細めて。

 口元はわずかに綻んで。

 その顔があまりに美しいものだから。

 は何も答えることができなくなった。

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