花笑みのプローミッサ Chapter.3 花笑みのプローミッサⅢ 2-1

 が目を覚ましてから二週間が経った。症状自体は落ち着いていたが、レオナからの命令でずっと自室に閉じこもっていた。体も回復し医務室からは移動できたものの、大事を取るためになかなか外出の許可が下りなかったのだ。気持ち的には健康そのものにもかかわらず療養を余儀なくされていたが、しかし本日、ようやく外に出ることを許されたのである。

 まだどんな影響が残っているか判明していない状態で出歩くのはリスクが高いと渋っていたレオナだったが、侍医の「体の方はすでに回復していますので、少しの間でしたら問題ないでしょう」というひと押しのお陰で散歩という名目で王宮の庭園を見学させてもらえることになったのだ。それでもレオナが同行するという条件付きではあったが、としてはレオナと一緒に過ごせる時間はご褒美でしかなく、久しぶりに外の空気を吸えて上機嫌なの心をさらに浮き足立たせた。

 なおが閉じこもっている間も中庭は封鎖され工事も当然ストップしている。あまり長く止めてしまっていると工期にも影響が出てしまうのだが、問題となる現象が無くならない限りレオナは再開させてくれる気はないらしい。そもそもの作業は魔力も消費するためまだ当分の間は控えるように言われている。これはレオナには内緒にしているが、まだ魔力を上手くコントロールできずにいる。元々魔力操作自体が苦手だったのでさほど不便は感じていないが、きっとこれを言えば今日の散歩は今すぐ強制終了させられてしまうことだろう。

「少しでも具合が悪くなったら言えよ」
「はーい!」

 は中庭で倒れていた自身を見つけて運んでくれたのはレオナだとラギーから聞いていた。その際が負っていた傷は、どうやらレオナのユニーク魔法を受けた際に負う傷に良く似ていたらしい。そのせいもあってか、レオナはやけにの身を案じていた。レオナは過去にユニーク魔法を暴走させてしまったことがあるそうだ。それも過去に一度だけだったそうなのだが、たとえ一度だとしても優秀なレオナにとってはよほど許しがたい失敗だったのだろう。の怪我についてレオナ自身は無関係と言えど、何か思うところがあるのかもしれない。の半歩後ろから着いてきてを監視しているレオナを、はむずがゆい気持ちになりながら盗み見る。好意を寄せている者から受ける心配というものは、どうにも心を浮つかせる。は自然と弛んでしまう頬を押さえて、レオナから見えないように一人ずんずんと先へ進んでいった。

「あぁ、いるな」

 の後ろで、レオナが庭園の中央辺りを指差す。まだだいぶ距離はあったが、レオナの示した方向で作業着姿の男が動いている様子がの目からも見えた。赤い花を咲かせる植物の前で何かをチェックしている男にが駆け寄り、声を掛ける。男はに気が付き、次いでの後ろからゆっくりと着いてきたレオナの姿を認めるとぎょっと目を剥いた。慌てて低頭した男に、レオナが「俺はソイツの付き添いだ。構うな」と頭を上げさせる。

「ね、貴方がこの庭園の担当の庭師さん?」
「はぁ、そうですが」
「私、離宮の中庭の庭師になったの」
「まだ試用期間だがな」

 の後ろからわざわざ補足したレオナに、が唇を尖らせる。

「そう、今はまだね。でも絶対に正式に雇ってもらうんだから」

 はつんと澄ました顔で意気込む。第二王子を相手にしているとも思えないの態度に、男はぽかんと呆けている。しかしが名乗り、その姓に聞き覚えがあったらしい男が祖父の名を尋ねてきたので答えれば男は顔を輝かせた。

「へぇ、アンタあのローエンの孫か!」
「おじい様のこと、知ってるの?」
「そりゃあもう! ローエンは俺らの間じゃ有名人だからな」

 さすがは祖父だ。は自分のことのように誇らしくなり、胸を張る。夕焼けの草原は全国的に比較しても植物の種類が豊富なことで有名だ。この地域でしか生息しない種も多い。太陽の恩恵を受け存在を主張する赤い大きな花弁と、瑞々しい緑の葉。乾燥が強く水分が少ないという過酷な環境の中でもたくましく咲き誇るその姿はまさしく植物の力強さを体現しており、はほうと嘆息した。

「綺麗だろう」
「えぇ、とても」
「この美しさは温室じゃ出せねーんだ。お日様の下で微妙な調整を繰り返して、自然のありのままの姿を再現してる」
「この辺りにも環境魔法が?」

 の反応に気を良くした男が、鼻を掻きながら首肯する。魔法自体は専属の魔法士が管理しているが、植物の成育には庭師の腕が大いに影響してくる。これほど立派な庭園を維持しているこの男も、素晴らしい庭師の一人で間違いなかった。

「そういや、師匠が言ってたな。離れの方も、使われなくなる以前は同じように魔法で管理してたらしいぜ」
「離れ……って、離宮の中庭のこと?」
「そうそう。五年だか六年前くらいにレオナ殿下が住むようになるまで、離宮は誰も立ち入らないお飾りの宮殿みたいになっててな。屋敷の中は一応定期的に手入れはしてたみたいだが、中庭まではさすがに手が回らなかったらしくてなー」

 男が聞かせてくれた内容のほとんどは、先日レオナから聞いた話と同じだ。しかし、離宮の中庭も以前は魔法で管理されていたというのは初耳だった。

「アンタがあそこの管理者になるのか。完成したら見に行かせてくれよ」
「えぇ、きっとびっくりさせてみせるわね!」

 にんまりと自信満々に言ってのけたに、男は「そりゃあ楽しみだな!」と豪快に笑った。

「時間だ。そろそろ戻るぞ」
「えっもう? 私、まだ大丈夫なのに」
「言うこと聞かねーんなら、次が無くなるだけだぞ」
「戻ります! それじゃ、作業の邪魔しちゃってごめんなさい。またお話聞かせてもらえるかしら?」
「構わないぜ。アンタも、良ければローエンの秘伝の技術を聞かせてくれたら嬉しいんだがな」
「それはおじい様からお許しがもらえたものだけね」

 は祖父が庭師として習得してきた様々な技術を数多く叩き込まれている。しかしその大半が、彼が長い人生の中で先人たちの遺したものに己の学んだものをかけ合わせて生み出したものばかりだ。もちろん、中には妖精の加護があるからこそできるものもあった。それらは基本的に門外不出とされており、基礎的な内容であっても無闇に他人へ話してはいけないと言われていた。

 男と別れたは、レオナと背の高い生け垣の間を並んで歩いていく。

「ね、今度はいつ来れるかしら? 王宮には今の庭園とこの前の夜会のときに来た庭園と、あと二つも庭園があるのよね」
「お前なァ……良いから今は大人しく回復に専念しろ。まだ魔力も上手く使えねーんだろ」
「え、なんでバレてるのよ……」
「離宮のトップは俺だぞ。いくら侍医を口止めしたところで無駄だ」
「先生ったら……レオナさんには言わないでねってお願いしたときは笑って頷いてくれたのに」
「アイツからは話してねーぞ。俺から誘導して聞き出した」
「ずるい!!」

 眉を吊り上げて訴えるも、本気でを案じてくれているレオナの顔を見ればあまり強くは出られなかった。何も言えなくなったが、不意に斜め右前の方向を見つめてレオナに声をかける。

「ねぇ、本当に王宮って妖精が入り込めるような隙間は無いの?」
「普通はな。この前も説明したが、国が誇る魔法士数人がかりの手で特殊な結界が張られてんだ。それをおいそれと通り抜けられてたまるか」
「でも結界ってことは、定期的に張り直すわよね?」
「それはそうだが……急にどうした」

 人の手で魔力を用いて張られる結界に永続的な効果はなく、一定期間の後に新しく魔法をかけ直す必要がある。そして、そのメンテナンスの合間には、必ず一瞬の『隙間』ができる。古い結界が解かれ、新しい結界が張られるほんのわずかな瞬間。

「馬鹿言うな。そんなん、時間にしてカンマ一秒にも満たねぇぞ。しかも結界の張り直しは不定期で国王以外知ることもできないになってる。それこそ三百六十五日、四六時中監視し続けてでもいない限り――」
「それをしてるのよ。『犯人』の妖精は」

 断言したに、レオナが眉を顰める。

「最後に結界を張り直したのはいつ頃かしら」
「具体的には答えられねーが、だいぶ前だな」
「私が来るよりも前?」
「……確か、そうだな」
「じゃあきっと今も妖精はどこかに隠れてるわね」

 の言葉に、レオナの眉間の皺はますます深くなった。

「仮にそうだとしてもとっくに見張りの連中が見つけてるだろ」

 王宮には国内屈指の優秀な魔法士たちが揃っている。妖精という魔力を身に宿すものが侵入していれば、見つけられないわけがない。しかし、それはあくまで妖精が気配を断っていない状態での話だ。

「妖精は人目に付くのを嫌うでしょう。だから身を隠すのが本当に上手いのよ。もちろん、魔力を感知させないように誤魔化すのもね」

 言いながら、は懐に潜んでいる妖精に声をかける。実際に見せてみた方がきっと伝わるだろう。妖精に後ほど魔力を与えることを約束してから、姿はそのままに魔力だけを完全に感知できなくするように頼む。妖精は特に嫌がるそぶりも見せず、素直にの言う通りにしてくれた。目の前で姿はあるのに徐々に魔力の気配だけが消えていき、やがて完全に何も感じられなくなる様子を目の当たりにしたレオナは、驚きに目を見開いた。それから興味深そうに、妖精の姿を四方八方から観察し始めた。妖精はじろじろと自分を見てくるレオナの視線を、居心地が悪そうに受け止めている。

「ね?」
「確かにこれなら、入り込んでても気づけない可能性が高いな」

 レオナは渋い顔をしたまま「見回りを強化するよう進言しておく」とため息を吐いた。

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