花笑みのプローミッサ Chapter.3 花笑みのプローミッサⅢ 1-2

* * *

「どういうこと !? 」

 おざなりなノックの後、返事も待たずに扉を乱暴に押し開けたが、驚いているラギーをも無視してレオナに詰め寄る。レオナが許容していることもあり親しみを込めて接しつつも目上の者へ対しての最低限の礼儀は守っていただったが、それを意識の外に忘れてきてしまうほどの何かがあったようだ。

「仮植えしていた植物が、全部枯れたわ。それも、たった一晩の間に」
「……直接見た方が良さそうだな」

 息を吐いたレオナがラギーにも着いて来るよう促し、興奮冷めやらぬ様子で憤慨するとともに執務室を後にした。そのまま中庭へと向かう道中、が自身が目にした状況を簡単に説明していく。

「噴水を中心にして、範囲を広げるように少しずつ植物が枯れていってるみたいだったわ。私が昨日の夕方に作業を終えたときには、何も異常が無かった。何かが起きたのなら、その後よ」
「また噴水か……」

 中庭に着いた一行は、原因と思しき噴水の前で周囲の様子を窺う。の説明通り、噴水を取り囲んでいた仮植えの植物は皆、無残な姿と化していた。噴水から距離がある範囲のものは比較的元の姿を保ってはいるが、それ以外の植物はもはや植物と呼ぶのも躊躇われるほど、形状が変わっている。枯れているというよりも、崩れていると形容した方が近いだろう。植物ではなく、砂山と呼べる状態だ。

「この噴水はこの敷地に根付く植物から水分を奪っている」

 レオナが砂山からひとつまみの砂を指先で摘まむと、状態を確かめるように擦り合わせる。

「……どういうこと?」

 が痛ましげな表情で一帯を眺めて、レオナに問い返す。

「これは王宮の中でも限られた人間しか知らないことだ。おいそれと部外者に話すわけにはいかない」
「この状況で何も聞かずにどう庭を造れって言うのよ!!」
「最後まで聞け。だからまずは、お前を信用に足る人物だと印象付ける必要があった」

 植物に精通していることと、妖精の加護ひいてはその力を使うことができるという、実力も。そして何より、この中庭で起こる現象がの企てではないという証明。レオナの言葉に、が戸惑う。

「でも、さっきの口ぶりだと、これは私が来る前にも起きたことがあるんでしょう? だから……この中庭はあんな状態で放置されたままだった……」
「そうだ。いくら綺麗に整えたところで、どうせすぐに全部枯れちまうからな。つっても、これほどひどい状態になったことは無かったが……」

 思案するように黙り込んだレオナを見て、がはたと気が付く。レオナの執務室で以前に中庭で植えられていた植物の目録を見せてもらった際に、その本の近くに並べられていたタイトルを思い出したのだ。あのときは深く考えていなかったが、以前からレオナがこの件を知っていて何かしら調べていたというのであれば、あの物騒なタイトルのラインナップにも納得がいく。

「これは呪い、なの……?」
「まだ断言はできない。そもそも、ほとんど突き止められちゃいねーんだ。起こっている現象の全容も、原因も。なにせ、長いこと何も起こらない状態が続いていたからな」
「え、何、どういうこと……?」

 が困惑し、思わずラギーと顔を見合わせる。しかしラギーも理解が追い付いていなさそうな表情をしていた。

「でもこの前、解析させましたよね。その噴水の石の一部」
「あぁ、痕跡を見つけたのはアレが初めてだ」

 説明によると、何でもこの現象に初めて気が付いたのはおよそ五年前。レオナが離宮へ移り住むための準備をし始めた頃らしい。離宮は長らく誰にも使われることがなかったものの、屋敷の内部は使用人たちによって定期的な手入れが施されていた。とはいえ中庭にまで手が回らず、元々荒れ果てた状態で放置されていた。しかし第二王子の居所になるということで、当初は中庭も整備される予定だった。そこで、『植物を植えると全て枯れてしまう』という現象を目の当たりにし、手を出せなくなった。

「極秘裏に専門家に調査させたりもしたんだが、結局何も出てこなくてな。毒物や呪いという線も視野に入れて調べてはいたが、何の手掛かりも無い状態で行き詰っていた。まぁ、起きる現象がシンプルで、それ以外の害はなさそうだということを確認してからはほとんど放置だ。俺もさっさとこっちに移りたかったし、とりあえず定期的に俺が様子を確認するということでこの件は保留になった」
「そこに、私が来たのね……でも、ずいぶん不用心じゃない? 王宮の中なのに、そんなリスクを抱えたまま放っておくなんて」
「あぁ、だから念のために結界は張ってある」
「え !? 」

 驚くに、レオナが呆れた顔を見せる。

「まさか何も対策せず放置するわけねーだろ。何かしらの魔力の動きがあることだけはわかってたからな。結界張って、定期的にメンテナンスもしてる。あとこの前魔力の痕跡を捉える仕掛けも施した」

 ぽかんと口を開いたまま固まるに、レオナはまるで明日の予定を尋ねるときのような気軽さでもってに問いかけた。

「というわけで、この中庭は訳ありだ。この問題が解決しない限り、この先どんな現象が起こるのかも不明で、現象が悪化していく可能性だってある。それでも、お前、ここで庭師をやりたいか?」
「……やるわよ」

 がむすりと唇を尖らせながら、断る理由などないと断言する。

「ここまで聞いて、引き下がれやしないわよ。それに、ここを何とかして立派な中庭に仕上げれば、貴方は私を正式に雇ってくれるんでしょう?」
「まぁ、検討はしてやる」
「そこは雇ってくれるって言ってくれた方がやる気が増すんだけど……」
「元々結果を見て、って話だったろ」
「そ、それもそうね」
「とにかく、またことが起きた以上は見過ごせねぇな。ラギー、ハンスに伝えろ」
「ねぇ、もしかして、ずっと何も起こらなかったのに今になってこんなことが起きたのって、私のせい……?」

 が思わず尋ねてしまったのは、が中庭で作業することで事象の『原因』に何らかの影響を与えてしまったせいなのではないかという可能性に思い至ったからだ。レオナは「否定はできないが、どうせいつかは何かしら手を打たねーといけなかったからな」と慰めるようにの頭を撫でた。



* * *
 レオナに状況を書面でまとめるよう指示され、その場に残ったは、その日一日を費やして中庭に起こった現象の報告書を作成することとなった。

 翌日。レオナからは作業を一時中断するよう言われているので工事そのものは何もできないが、はひとまず再び荒れ果ててしまった噴水の周囲を片付けることにした。砂や枯れてしまった植物は調査に回す分をすでにラギーなどの研究員たちが回収し終えていたので、残りは全て撤去しても構わないとのことだ。結局、撤去作業は日が沈む頃になっても終わらなかった。砂が思った以上に細かく、土と混ざってしまった分を取り除くのに時間がかかってしまったのだ。

 辺りが暗闇に包まれていく中、は刷毛でざかざかと土の表面から砂を掃いていく。もう少ししたら視界も悪くなるので、今日の作業は切り上げた方が良さそうだ。粗方片付け終えてからまた土の状態を確認して、問題なければもう一度仮植えをしたいところなのだが。はふぅと息を吐いた。もしまた同じように植物を植えたとしても、また同じ結果を繰り返すことだろう。

「大元の問題を解決するしかないんだけど……」

 なにせ、あのレオナをもってしても原因も解決方法も見つけられていないのだ。妖精の加護と植物に関する知識しか持たないに、何を解決できるというのか。しかし、何とかしないことにはは中庭を造ることができない。つまり、レオナに認めてもらうことが叶わないのだ。それはとても困る。

「うーん……噴水……噴水かぁ」

 が噴水の前で腕を組み、首を捻る。レオナ曰く、ことを起こしている魔力は噴水を介してどこかへ移動しているらしい。そしてこれは推測ではあるが、魔力と一緒に移動しているものがある。それは、植物たちから失われた水分だ。

 その場で全て蒸発してしまっている可能性も無いわけでは無かったが、長年水も引かれていない噴水にしてはその素材となっている石が妙にしっとりとしているのだ。無機質なそれにそっと触れながら、解決の兆しどころかますます深まるばかりの謎に、は眉を下げる。 

「……どうして、水を持っていくの?」

 問いかけたところで、目の前の石は何も答えてくれない。

 が足元の砂を掬うと、それはさらさらと風に浚われていった。元は植物だったが、今は見る影もないそれにの胸がずきりと痛む。

 元来、庭師は人間の手前勝手な都合で植物を育てる。人間たちが目で楽しみ美しさを堪能するため、ときには都合の良いように手を加えたり、選別したりもする。しかし、庭師が仕上げた美しい植物たちが織り成す景観を見て、触れて、その先――植物へ興味を向けてくれることが、一番嬉しい。植物があるから、たち庭師は庭師たることができるのだ。だからこそ、常に植物への感謝は忘れず、みだりに植物を枯らしてしまったり無駄にしてしまうことのないよう、多くの注意を払っている。今回、は何も知らなかったとはいえ、結果的に多くの植物たちを犠牲にしてしまった。中には成長すればきっと美しい花を咲かせてくれるはずだった種もあったが、それらは全て無残な姿へと成り果てている。植物たちの未来を、が奪ってしまったも同然だった。

 の肩に腰かけていた妖精が、落ち込むの頬を慰めるように撫でてくれる。は眉を下げたまま微笑むと、妖精に礼を述べながら同じように頭を優しく撫でてやった。

「くよくよしてる場合じゃないわね! 早く解決できるように、私も色々調べてみなきゃ」

 は気合いを入れるように胸の前でぐっと両手を握ると、片付けを再開すべく立ち上がる。そんなの耳に、風に乗って『声』のような音が聞こえた。は振り向くが、この場にはと妖精以外、誰の姿もない。

「……?」

 気のせいかとがまた前を向きかけたところで、今度は先ほどよりもはっきりと聞こえた。

『のどがかわいた』

 男の声だ。掠れていて、振り絞るような声。

『くるしい』

 息が詰まるような、苦しげな声。

『みず』

 乾燥した風がの頬を撫で、肌をピリピリと刺激する。

『みずがほしい』

 ピシリ。

 何かが割れる音が響く。

 同時に、引き裂かれるような痛みがの右腕を襲った。

「……ッ何……?」

 が自身の右腕を見てみると、土で汚れた肌の上に一筋のひびが入っていた。
 次の瞬間、ぐらりと世界が揺れる。体が後ろへと傾いていく感覚に溺れながら伸ばしたの手は、冷えた夜の空気を掴むことしかできなかった。は背中から砂山の上に倒れ込む。ぼふりと宙を舞った砂塵の中、のかさついた唇が酸素を求めるようにはくりとわなないた。徐々に霞んでいく視界の中で、の妖精が何かを伝えようと必死な様子で口を動かしているのが見える。しかし、妖精の声はへ届かない。

 これ、結構まずいんじゃ――

 どこか冷静な頭で自身の状況を分析しながら、の視界から妖精の姿が消えた。否、の瞼が閉じ、何も見えなくなったのだ。

 さわさわと風が優しく頬を撫でていく。

 さらさらと砂の流れる音が響いている。

 やがて全ての感覚が遠のいていき、全ての音が、薄れていく。

『わたしがとどけてあげる』

 小さな女の子のようなたどたどしい声を最後に聞いて、の意識はプツリと途切れた。

一覧へ