花笑みのプローミッサ Chapter.2 花笑みのプローミッサⅡ 3-2

* * *

「『満足度調査アンケート』?」

 ラギーが報告書と一緒に渡してきた書類には、いかにも素人が作りましたと言わんばかりのデザインで、先の言葉通りのタイトルが記載されていた。なお、タイトルの横に小さく『※非公式』とも添えられている。満足度調査と銘打ってはいるが、その内容は作り手を彷彿とさせるほど内容が偏っていた。

「『レオナ殿下の元で働こうと思った動機は?』『貴方が思うレオナ殿下はどんな人?』『レオナ殿下に直してもらいたいところは?』『レオナ殿下の――』……何考えてんだ、アイツ」
「いやぁ、せっかくなんで報酬上げてくれとか書かせてもらおうかなと思ったんスけど~。非公式だったみたいで、残念ッス」
「……提出先、間違ってんぞ」

 問い合わせ窓口や提出先の欄にはの名前が記されている。レオナはラギーに書類を突き返した。

「そういや、あの子のこと泣かせたってマジッスか?」
「……どうせ全部聞いてんだろ」
「聞いてますけどー、やっぱ片方だけの話聞くだけで判断するのも悪いというか?」

 何故ラギーが仲裁人のような立場を気取っているのか。面倒ごとには巻き込まれないよう立ち回ることの多いラギーを知っているだけに、不信感しか抱けなかった。

「レオナさんって年下好きなんスか?」
「あ?」
「あの子も対象範囲内なんかなーって」
「…………ガキには興味ねぇ」
「ふぅん。ガキ・・には、ねぇ」

 含みを持たせて復唱したラギーに、レオナが眉を顰める。そんなレオナとは対象的に、ラギーはニコリと笑った。レオナはため息を零す。

「……何が欲しいんだよ。言っておくが、報酬は上げねぇぞ。そっちは実績で何とかしろ」
「まぁですよねー。じゃあとりあえず、今もらってる案件が落ち着いたら一週間くらい休暇くださいな」
「はぁ……調整する」
「どーもッス。あとコレ、この前預かった解析結果です。何なんスか、あの石」
「中庭の噴水に使われてる石材の一部だ。妙な魔力の痕跡があってな。あの石を経由して、何かが移動している」
「んなきな臭い場所であのまま作業させてて良いんスか?」

 ラギーが言っているのは、のことだ。

「もう少し現象が活発化してきたら、いったんストップさせる」

 そもそも、が中庭での作業を始めてから現れた現象だった。が何かを企てている可能性もなきにしもあらずではあったが、の性格からはレオナを謀るような真似はできなさそうだ。もしそれすらも計算のうちで振る舞っているということであれば、とんだ策士である。謎の現象がの手によるものではないとすれば、自身やの魔力などに反応している可能性もあった。

「どうせ通りがかるんだから、お前もたまに中庭を覗いておけ」
「まぁ良いッスけど。あ、そういえば」

 ラギーが思い出したように付け足す。

「さっきのアンケート、離宮の人ら全員に渡して回ってるらしいッスよ」
「本当に何考えてんだよ、アイツは……」

 まさか全員とは。そんなものを集めてはいったい何をどうする気なのか。

 呆れて頭を抱えそうになったレオナに、ラギーは「レオナさんのことしか考えてないでしょうねぇ」とだけ言い残して部屋から出ていった。



* * *
 翌日、はレオナの執務室を訪れていた。手には一晩かけて作り直した設計企画書。すでに一度提出しており、レオナからの承認も下りている。しかし新しく造りたいものができたので、もう一度見てもらうために持ってきたのだ。その内容を大きな扉の前で最終確認してから、ノックをするために手を掲げる。

 二、三度鳴らした音のあとに、一拍置いて入室を許可するレオナの声が返ってくる。手に力を込めて重厚な扉を押し開き、室内へ足を踏み入れた瞬間、レオナの「用件は?」という淡々とした問いかけにはピタリと動きを止めた。

 崖での一件より以前、同じように執務室を訪れた際に話したレオナとはまるで違う声音に、キュ、との喉が詰まる。

「中庭の、設計企画書を直したの。追加したいものがあるから、それについて」
「見せろ」

 が差し出した書類を受け取ったレオナが、書かれた内容にざっと目を通していく。

「予算は本当にこの程度で良いのか? もう少しかかるだろ」
「伝手があるから材料は安く買えるし、実際の作業は私も手伝うから人件費も少し下げられるわ。その辺りを含めて見積もった予算がこれよ。懇意にしている職人がここまで来れるらしいから頼む予定だけど、他の費用は交渉次第ね」
「なら良い。好きにしろ」
「……ずいぶんあっさり了承してくれるのね」
「内容も工程もちゃんと練られてる。問題なけりゃそれで良い」

 レオナのサインが書かれた企画書を受け取り、再び自身の書類の処理作業へと戻ってしまったレオナへ声をかける。

「ねぇ」
「用が済んだならさっさと行け」
「……少し話すくらい良いじゃない」
「俺は話すことはない」
「じゃあ聞くだけで良いわ。ううん、今から話すのは独り言だから、聞かなくてもどちらでも良い」

 そう言えば、レオナの手がピタリと止まった。一応、聞いてくれる意思はあるようだ。

「やっぱりね、レオナさんは私にとって『王子様』なの。『王子様』って言葉が逆にややこしいのかもしれないわね。『ヒーロー』、『恩人』、『憧れ』……言い方は何だって良いの。どんなレオナさんを知ったって、レオナさんが、私にとって特別な人だってことは変わらない」

 は懐から人形を取り出すと、レオナに差し出した。レオナは訝しげに人形ととを見比べてから、何も言わずにそれを受け取る。

「この前の男の子からよ。『助けてくれてありがとう』って。預かってきたの」
「ずいぶん不細工な……だな」
「えぇ? 可愛いじゃない、ほら、目つきがツンとしてるところとか、レオナさんにそっくり」

 クスクスと笑うが続ける。

「男の子がね、言ってたの。仲直りするときは相手が喜ぶものも一緒に渡すと良いんですって。そのお人形は男の子からのプレゼントだから、私からはまた今度贈るわね。準備に時間がかかっちゃうから、もう少し待ってて」
「わざわざ用意しなくて良い。つーか仲直りも何も、別に喧嘩したわけじゃないだろ」
「私は喧嘩みたいなものだと思ってるけど? でも私も結局譲る気は無いから、この件は平行線のままなのよね」
「はぁ……ローエンも言ってたが、やっぱりお前、頑固だな」
「そうよ、一度決めた気持ちは、そうそう変わらないの」
「確かに、変わらないな」

 ため息を吐いて立ち上がったレオナが、の前までやってきて見下ろす。

 室内へ入り込んだ柔らかな風が、窓辺に飾られた観葉植物の葉をサワサワと揺らす音が聞こえる。窓から差し込む陽光がレオナの横顔を照らし、黄金に輝いている。

 温かな陽の光を柔らかく、しかし確かな存在感を以て跳ね返してくる若葉色。

「――綺麗ね」

 が手を伸ばす。指先がレオナの頬に触れる直前でピタリと止まった。

「貴方の瞳、やっぱり綺麗。葉っぱを、キラキラの宝石にしたみたい」

 昔、幼く拙い表現力でなんとかより合わせて紡いだ言葉だったけれど。同じ言葉でもう一度口にしてみれば、やはりそのたとえはの今の気持ちにもしっくりと馴染んだ。

「風に揺らぐ柔軟さも、それでも一心に太陽に向かって伸び続けるたくましさも」

 がうっとりと目を細める。

 レオナは、そんなをただ黙って見つめていた。

「私の、一番大好きな色」



 とレオナが無言で見つめ合ったまま、どのくらいの時間が経っただろうか。瞬きも忘れていたが、思わず見惚れていたことに気づき目を泳がせると、レオナが右手を上げた。少しかさついた指先が、の頬をそっと撫でる。

「レ……」

 レオナの名を呼ぼうとしたの声が途切れ、苦痛を訴える悲鳴に変わった。優しく触れていたはずのレオナの指が、の頬を思いきりつねってきたからだ。

「ふぁにすうのよ……」

 上手く発音できない状態で文句を言えば、レオナが鼻で笑った。がジト目で睨みつけてもレオナはまるで気にせず、片手での頬を弄び始める。

「変わったんだか、変わってねーんだか、わからねぇんだよ。お前は」
「それ、頬をつねってから言うこと……?」
「そういう気分だったんだよ。もう気は済んだろ。戻れ」
「はいはい」

 が立ち上がり扉の方へ向かおうと体を向けると、不意に名を呼ばれた。何用かと首だけひねって振り返ったの額に柔らかな温もりが触れ、やや湿り気を帯びたそれは軽い音を立ててすぐに離れていった。

 レオナの手に背中を押されるがまま歩き出し執務室の外へと追いやられたは、自ら閉じた扉に寄りかかるとその場でズルズルと座り込んだ。

「い、今の……なに……?」

 思わず声に出してしまったの問いの答えを知っている人物は、閉じられた扉の向こうだ。



* * *
 久しく異性に触れていないせいだろうか。

 吸い付くような肌と、柔らかく跳ね返ってくる弾力が心地好くなかなか手を離せなかった。戸惑ったようにレオナを見上げてきたは、幼かった頃の面影はあれど背も高くなり、体つきもまだ発展途上とはいえはるかに女性らしく成長していた。

 昔、たどたどしい言葉遣いで懸命に言葉を紡いでいた小さな子ども。レオナへと向けられる真っ直ぐな心は、何も変わらない。否、が年を重ねてきた分だけ、より確かなものとして強くなったの気持ちが、レオナに突き刺さる。と話すたび、の口から発せられるレオナへの『憧れ』を聞くたびに、ただ静かに一定のリズムで繰り返しているだけのレオナの脈拍が不規則に揺れ動く。

 レオナは永遠に一番にはなれない。

 生まれたときから、そう決められている。生まれてきた順番ですら、二番目で。そのせいで、全てが二番目で終わる。どれだけ努力しようが、レオナが望む結果は得られない。

 それなのに。

 はレオナを『特別』だと言う。

 誰もがレオナを結果的に『二番目』としか見ていない中で。

 は『レオナだけ』だと言った。

 それは、どこまで変わらないのだろうか。

 どんなレオナを知っても変わらないと言ってみせたは、レオナがこの王宮の中でずっと抱えてきた薄汚い感情を見たとしても、変わらないのだろうか。変わらずに、レオナだけを想い続けてくれるのだろうか。

「……何考えてるんだ、俺は」

 こんな感情はもうとっくの昔に、捨ててきたはずなのに。

 何かを期待すればするほど、最後にそれが叶わなかったときの虚しさは膨れ上がる。

『綺麗ね』

 の声が、レオナの頭の中で反響する。

 レオナはの生きてきた十一年間を知らない。

 レオナの膝ほどの背丈しかなかった子どもは、いったいいつからあんな瞳をするようになったのだろう。

『私の、一番大好きな色』

 淡く色付いた白い頬。

 砂糖を溶かし込んだミルクのように、甘く乞うような瞳。

 はもう、子どもじゃない。


 
『今日あの子がエレメンタリースクールを卒業しました。時が経つのは早いものですな。こちらにはミドルスクールがないので、しばらくあの子だけ私の実家がある輝石の国で暮らすことになります。家に帰っても可愛い孫娘の出迎えが無い毎日は寂しくて仕方がありません』

『息子からあの子が初めてテストで満点を取ったと連絡が来ました。努力の成果が実り、非常に喜ばしい限りです』

『あの子が二年ぶりに帰省しました。たった二年なのに背もずいぶん伸びて、見た目はすっかりお姉さんです。頭を撫でてやると「もう子どもじゃないわ」と照れながら怒るようになりました。初めて見る表情で、つい笑ってしまったら拗ねてしまいました。まだまだ幼いところが残っていて、愛らしいです』

『この前あの子が魔法薬学検定試験の二級を――……』

『あの子は今造園施工管理の資格を取得するために――……』

『あの子が父親の働く庭園で二年間のインターンを終え、そのまま補佐として働くことになりました。より多くの経験を積み、将来に役立ててほしいものです』

『とうとうあの子が十八歳になりました。昨日突然家へ帰ってくるなり貴方の元へ行くと言い出し、母親に反対されても聞く耳を持ちません。あの子には物心ついた頃から私の技術を教え込んできました。身内のひいき目抜きに見ても、あの子の知識と腕は確かです。しかしなにぶん、まだ経験が浅い。それでもあの子は一度決めたら曲げません。貴方の目で、あの子を見定めて頂けますか? 決して色を付ける必要はありません。貴方ならきっと、公正な判断をしてくださることと思います』

『あの子は、貴方のことをずっと――……』



「何で、俺なんだよ」

 レオナが手の中で弄んでいた人形を、握り締める。ところどころ歪んだそれは柔らかくてちっぽけで、レオナが軽く力を込めただけで簡単に潰せてしまう。

「……アイツが見てる俺は、幻想だ」

 思い出という名のフィルターを通して見た、憧れの『王子様』。きっといつか、も思い知る。未来を選べる・・・と、選べない・・・・レオナ。二人の見ている世界が重なる日は、永遠に来ない。

 それならば。

 に夢を見させてしまったレオナは、の目を覚まさせてやる義務があった。叶えられない夢を追い続けることほど、虚しい時間は無い。レオナはそれを痛いほどに知っていた。

 レオナは手に握っていた人形を一瞥すると、机の引き出しの奥へ入れて蓋を閉めた。

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Chapter.2 花笑みのプローミッサⅡ【完】