は離宮へと戻り、男の子から預かった人形をレオナへ私に行く前にどうしても確認したいことがあり、ある人物を探していた。きょろきょろと辺りを見回しながら廊下を歩いていると、ようやく廊下の端で何やら小難しい顔をしながら書類と睨み合っている目的の人物を見つけた。
「ラギーさん、こんにちは。何してるの?」
「あぁ、どうもッス。いやぁ、また面倒そうな調査と解析を回されちまって」
「ふぅん、大変ね。また内容は聞いちゃダメなやつ?」
以前もラギーの仕事について聞いてみたことがあったが、部外者には話せないということであまり教えてもらえなかった。今回も同じ答えが返ってきそうではあったが、好奇心には勝てず期待半分といったところで尋ねてみる。
「あー、なんか『魔力を通すことのできる素材』ですって」
「何それ?」
「話せるのはココまで。で? 何か俺に用ッスか?」
「あ、実はね、ラギーさんに聞きたいことがあって」
が話を切り出すと、ラギーは訝しげに眉を顰めた。
「レオナさんの好きなものぉ? そんなもん聞いてどうするんスか」
「どうって……な、仲直りのプレゼント……?」
「……………………喧嘩でもしたんスか?」
何故そんなに間が空いたのか。尋ねてみれば「面白そうな気配と面倒くさそうな気配を両方感じたので首を突っ込むかどうか考えてた間ッス」との答えが返ってきた。正直な男である。
それからは、ちょうどこれから昼食にする予定だったというラギーと一緒に離宮に仕える者たちが自由に使うことを許されたキッチンルームへと向かった。歩きながら先日の崖のところで起きた出来事と今日の男の子との会話について話し、ラギーにもの目的がわかるよう説明した。
は男の子から預かった人形と、自身が考えたレオナの喜ぶものを渡して、もう一度レオナとちゃんと話したいと思ったのだ。
キッチンルームに着いてから二人は冷蔵庫に入っている食材を確認し、ナポリタンを作ることに決めた。それとサラダに簡単なスープを添えればじゅうぶん立派な昼食になる。
「君、料理できたんスね」
ラギーの横でピーマンを刻むの手元を見ながら、ラギーが意外だと呟いた。
「人並みにはね。お父様と暮らした時は――あ、お父様は今ね、輝石の国で働いてるの。私も輝石の国のミドルスクールに通ってたから一時期一緒に暮らしてたんだけど、お父様ったら自炊できない人なのよ。私が作るしか無くて」
「あーなるほど。あの島、NRCとRSA以外に学校なんて無かったッスね。あ、ベーコンください」
「はい。エレメンタリースクールは通信制だったから良かったんだけど、さすがにね。児童期に過ごす環境は将来の人格形成に必要なうんたらかんたらって、いい加減ちゃんと人のいる学校に通いなさいって通達が来たわ。トマトも入れるの?」
「ケチャップだけだと甘すぎるんスよねぇ」
「良い匂い。私、酸っぱすぎない方が良いわ」
「これくらいは?」
「あ、美味しい。この味好きよ」
「じゃあコレで完成ッスね」
他に人がいないのを良いことに雑談しながら作り終えた一式をテーブルに運び、二人は少し遅めの昼食をとり始めた。
「結局レオナさんの好きなもの、お肉とお昼寝くらいしかわからなかったわ……」
「あの人嫌いなものの方が多いッスからね。何か肉料理でも作って食べさせれば良いんじゃないッスかー」
「私がレオナさんの口に入るものを作って渡せるの?」
「
「この前のオムライス、本当に美味しかったわ」
「それはどうも」
「でもそしたらお昼寝しか残らないじゃない。何よお昼寝って。枕でもあげれば良いのかしら」
「あー昼寝と言えば、そういやあの人植物園で寝るのが一番好きだって言ってた気がするッス。静かで気温もちょうど良くて」
「そうなの? レオナさん、おじい様の植物園のこと気に入ってくれてたんだぁ」
「俺もあそこにいてくれると見つけやすくて楽だったなぁ」
遠い目をしながら昔を思い出している様子のラギーに、は同情の目を向けた。毎度授業をサボり行方不明となるレオナの面倒を見るのは、よほど苦労したらしい。
「……ねぇラギーさん」
「んー? 何スか」
「レオナさんって人たらし……というか、子どもたらしよね」
は手元のフォークにぐるぐるとナポリタンを巻き付けながら、ラギーに同意を求める。
以前、はレオナとともにラギーの料理のご相伴に預かったことがある。そのとき作ってもらったオムライスはとても絶品だった。そしてこのナポリタンも、味付けが絶妙だトマトのほど良い酸味とケチャップの甘みが絶妙なソースは太めのパスタに良く絡み、具材の旨味も加わってとても美味しい。
手伝いながら横でラギーが料理をする姿を見ていたは、彼の手際の良さに感心しっぱなしだった。NRCの在籍時にレオナの食事の世話を見ていたラギーだが、その経験があって元々の祖母から仕込まれていた腕前がさらに磨かれたそうだ。
「まぁ確かに、子どもにやたら懐かれる人ッスよね。本人は子どもは嫌いだって言ってるけど」
「え、嫌いなの?」
と同じナポリタンを口に運びながら答えたラギーに、が思わず問い返す。ぱかりと大きく開かれた口に次々と吸い込まれていくナポリタンは、食事を始めてからまだ数分しか経っていないのにすでに皿の半分ぐらいまで減っている。ラギーは可愛らしい顔立ちをしているが、かなり豪快な食べ方をする男だった。
「面倒なんじゃないんスか? 子どもって手もかかるし、とにかく自由じゃないッスか。チェカく……おっと、チェカ殿下にも散々振り回されてたし」
「チェカくんの相手をしたくないからってホリデーにも帰省しないっつって布団に潜り込んで出てこないくらいッスよ」と笑いながら暴露したラギーに、は目を丸くした。布団で丸くなるレオナを想像して、その微笑ましい姿に思わず頬が弛んだ。レオナはよくのことを子ども扱いして揶揄ってくるが、レオナ自身だってときおり子どものような仕草を見せてくる。普段は達観した様子でとの年齢差を思い知らせてくる男だが、そんなギャップを知ってしまうととても愛しさが増した。
思わず笑みを漏らしたを、ラギーが食事の手を止めてじっと見つめる。
「? 何?」
「いや、レオナさんにやたら懐いてる人たちって、結構似てる部分があるなぁと」
「似てる部分?」
「そッスねー。俺が知ってる範囲ではありますけど、例えば……単純」
「え」
「何事にも一直線。真面目。とにかく素直で純粋で、汚いモンなんかなーんにも知らなさそうなとことか。あ、騙されやすそうも追加で。実際チョロい子が多いし。あとはー……典型的な良い子ちゃん」
「……言葉に棘があるわ……」
「バレました?」
悪びれなく笑うラギーに、はむすりと唇を尖らせる。ラギーの言い方はあからさまで、あえてにも気が付かせるように言っていた気がする。
「レオナさんとは正反対なんスよねぇ」
「正反対って、どういう意味?」
「……アンタやっぱり、気付いてないみたいッスね」
「え?」
「アンタが何言ったところで、結局はレオナさんの一番でっかいコンプレックスを土足で上から踏みつけてるようなモンだってこと、自覚ないでしょ」
が目を見開く。
「アンタはさ、あの子と同じなんスよねぇ」
「……あの子?」
「王太子様」
チェカとが、同じ?
ラギーは何を言っているのだろうか。意味がわからず、は眉を顰める。
「身分とかそういう話じゃなくって。要は、アンタは
ラギーが目を細める。その視線には、侮蔑のようなものが含まれている気がした。
「だってアンタ、夢、叶えたからここに来たんでしょ」
ラギーの言葉に、が息を呑んだ。確かに『庭師になりたい』という夢を叶えることができたから、は今、ここにいる。
「どれだけ望んでも夢を叶えられなかった人間の前に、自分はなりたいモンになって叶えた人間が来てヘラヘラ笑ってたらどんな気持ちになるかなんて、アンタにも想像くらいはできるんじゃないッスか?」
「夢……」
「第二王子の王位継承権って、どうなってるか知ってます? さすがに知ってるか」
「今はチェカ様がいるから……第二位?」
「そ。今も昔も。きっとこれからも」
永遠に『一番』にはなれない。
そう続けたラギーに、はその意味を考える。そしてラギーがそのことをわざわざへ教えようとする意味も。
「レオナさんの夢は……『一番』になること?」
「さぁ、どうでしょうねぇ。ただ少なくとも、あの人は
不公平。
その言葉を、は割と最近耳にした。
チェカのことを嫌いなのか、とがレオナへ尋ねたときに彼は「不公平な世の中が嫌いだ」と答えた。
チェカ自身のことを嫌っているわけでは無いと知れただけで満足してしまっていたが、あの答えにはそんな気持ちが込められていたのか。
……本当に、自分は自分のことしか見えていない。もしラギーの言うことが、レオナが実際に感じている気持ちと同じであるのならば。
は目を伏せ、声が震えそうになるのを堪えながら絞り出す。
「私は、ここにいない方が良いの……?」
「好きにすれば良いんじゃないッスか? レオナさんも好きにさせてくれてるんだし。でも覚えておいた方が良いとは思いますよ」
綺麗に平らげた食器を重ね、ラギーが立ち上がる。
「何だって、どうしたって相容れないモンも、受け入れられないモンもあるってこと」
ラギーが笑う。冷ややかな目で、を見下ろしながら。
「……前にね、おじい様が言ってたの」
ぽつりと呟いたに、ラギーが眉を寄せた。
「人はね、皆見えてる世界が違うんだって」
高さが違えば、見えている面が違う。
角度が違えば、見えている形が違う。
「自分と全く同じものが見えている人なんて、世界中探してもどこにもいない。自分には見えていないものが、他の人には見えているかもしれない。他の人が見えていないものが、自分にだけは見えているのかもしれない」
そして、祖父はこうも教えてくれた。同じように、自分のことはどうしたって自分からは見えない。
鏡に映して見える自分だって、結局は自分の見た目だけなのだから、自分の内面がどんな風に見えるのかなんて、わかる人はいないのだ、と。
「だからね、もし自分がどんな風に見えてるのか、知りたいときは答え合わせをするしかないの。自分以外の誰かと話して、関わって、教えてもらうしかないのよ」
ここで考えているだけでは、何も答えなんて見つからない。
「私、知りたい。レオナさんの気持ち。レオナさんが何を思って生きてて、レオナさんはどんな夢を見ているのか」
「……そうやって、また踏み荒らすんスか。何年もかけてあの人が作り上げてきた、自分の居場所を」
「そんな風にしたいわけじゃないわ。ただやっぱり、私、レオナさんにはもうあんな笑い方してほしくない」
「あんな笑い方?」
「ラギーさんは知ってる? レオナさんが時々気持ち悪い笑い方すること」
「気持ち悪い……って、いけ好かない大臣がレオナさんを出し抜こうと下ッ手くそな小細工しかけてきたからわざと騙される振りして最後の最後で全部台無しにしてやって、絶望してる大臣を見下ろしてた時の魔王みたいな笑い方ッスか?」
「何それ、魔王みたいに笑うレオナさんとか見てみたい。でもたぶん違うわ、ほら、何て言うのかしら……誰かを馬鹿にしてる、見下してる時みたいな、自分に向けられたらムッとする笑い方。あの笑い方はね、見てるともやもやするのよ」
それをレオナは、レオナ自身へ向けている。そしてそんな笑い方をしてしまうレオナが本当の意味で幸せなのだと、にはとうてい思えなかった。
「……そっか、そうだわ」
私、あの人の笑った顔が見たい。
それも、目を細めて口元を和らげた微笑みや、を揶揄っている時のような、心の底から楽しんでいると伝わってくるような、笑顔。
「私、レオナさんの笑顔が好きなんだわ」
「は?」
「レオナさんにはもっと本当の笑顔で、笑っていてほしい。レオナさんが好きなもの食べたり、好きなことしたりしてて自然と浮かんでくるような笑顔。それでこう……私のことももっと揶揄ってもらうの!」
「は?」
二回目となるラギーの「は?」という声には、ドン引きしている気配を感じた。まるでレオナに虐められることを望んでいるような言い回しになっていたことに気が付き、は慌てて訂正する。
「違う! レオナさんが楽しいと思うようなこと、してもらいたいだけっ」
ラギーと別れが中庭へ向かっていると、前から歩いてくるハンスと目が合った。ぺこりと会釈してそのまま通り過ぎようとしたハンスを捕まえて、はずっと気になっていたことを訪ねてみる。
「ハンスさん。ハンスさんって、いつからレオナさんにお仕えしてるんですか?」
「……何故そんなことを?」
忙しいからとにべもなくあしらわれるかもしれないとも思ったが、意外にもハンスはきちんとと向き合ってくれた。少々、いやだいぶ不審そうにしてはいるが。
「別に何か企んでたりなんてしないわよ? ただ純粋に気になったの」
「……殿下がNRCを卒業して今の役職に就かれた時からですね。元々そのようなお話を頂いておりましたので」
知りたい。どうしてレオナに仕えることを決めたのか。でもそんなこと聞いてどうするんだって思われるだろうし、もう少し遠回しに――
悩んでいたの頭にある考えが浮かんできた。しかしそれを実行するためには、おそらくハンスからの許可を取っておいた方が良い。
「ハンスさん、もし私が離宮で働く人たちに聞きたいことがあって、それを陰でこっそり聞いて回ってたりしたら何かお咎めとかありますか?」
「……私が関与できるのは業務時間内のことのみです。それ以外の時間については、口を出せることはありません」
要は、業務外の範囲でなら好きにしろとのことである。
「ありがとうございます!」
は笑顔で頭を下げると、さっそく準備に取りかかるべくハンスに別れの挨拶を述べてその場を走り去った。