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レオナと気まずくなってから三日後。は単身、もう一度例の崖のところへ訪れていた。特に目的があったわけでは無い。王宮の外へ出たかっただけだ。外の空気を吸えるのならどこでも良かったのだが、なんとなく足が向いた先がここだった。
あれから何度か執務室にも訪れたのでレオナと話す機会はあったが、レオナはとの間には何事も無かったかのように、とにかくいつも通りだった。にとっては、そんなレオナの態度が逆に不可解で。まるで、気にする価値も無いと言われているような心地さえしている。
が目の前でそびえ立つ崖をぼんやりと見上げていると、ワンピースの裾がくいと引かれる感覚。だけであれば顔を隠す必要もないので、今日はマントは着ていない。が視線を下へ動かせば、先日の男の子がの服を掴んでいた。
「やっぱり、こないだのおねえちゃんだ!」
「え、えぇ……こんにちは。あの後、大丈夫だった?」
「うん! ちゃんとママにもはなしてね、あめがふらなくなるまでは、おみせのちかくであそびなさいっていわれたー」
「……そっか」
「ねこのおじちゃんは? いないの?」
「今日は一緒じゃないの」
男の子の目線の高さに身を屈めて答えれば、男の子は「そっかぁ」と項垂れた。どうしたのだろうか。が尋ねようとしたところで、子どもの手に握られた人形のようなものの存在に気がついた。
「ねぇ、それなぁに?」
「これ? おまもりだよ!」
「おまもり?」
「これね、ママにつくりかたきいてね、いっしょにつくったんだ。おじちゃんに、ありがとうっていいたくて」
子どもが小さな手のひらに乗せて差し出してきた人形は、黒いたてがみの獅子を象ったものだった。ところどころ歪な部分が多いが、一生懸命作ったのが伝わってくる。しかし、はその形にふと疑問が浮かんできた。
「猫じゃ、ないのね」
「? ねこちゃんだよ」
男の子が不思議そうに首を傾げる。この子は獅子の姿をしたコレを、猫だと思っているらしい。
「ママがね、つくるならこのねこちゃんのほうがきっとよろこんでくれるわっていってたの」
「お母さん、が」
男の子自身はレオナの身分を知らなくても、男の子から話を聞いた母親は、男の子を含む子どもたちを気にかけてくれている男の正体が第二王子であるということを察していたのか。
「そうね……おじちゃん、きっと喜ぶわ」
が微笑みながら頭を撫でれば、男の子はくすぐったそうに身をよじった。
「おじちゃん、つぎはいつくるかなぁ」
「うーん……」
レオナはここへはしばらく来られないと言っていた。男の子も立ち入らないように言ったレオナの言葉に従うようだから、もし次に会えるとしてもだいぶ先のことになるだろう。
この男の子は今はまだ、レオナが夕焼けの草原の第二王子であることを知らない。どれだけ会いたいと望んでも、のように自ら赴いて願いを叶えることもできない。
いつか、この子がレオナのことを知る日は来るのだろうか。
が、祖父からレオナのことを教えてもらえたように。可能性は、ちゃんとある。もしその日が来なかったとしても。
事実はただ事実として残り続ける。
レオナが身分を明かさなくても、この子どもにとってレオナ・キングスカラーという一人の男に助けられたという事実は消えない。そして、その事実に対する想いもまた、色褪せることはない。助けられたことへの恩義も、向けられた優しさのぬくもりも。
いつだって不器用に振る舞うことしかしないあの人は、いったいどれほどの『ありがとう』を受け取り損ねているのだろう。
レオナには報われてほしい。
無愛想な殻の中に優しさを隠してしまっている彼にも、知ってほしい。
レオナは、誰かの『特別』になれる人なのだと。
が考え込んでいると、男の子が首を傾げての顔を覗き込んできた。
「おねえちゃん、おじちゃんとけんかしちゃったの?」
「え?」
「パパとね、けんかしちゃったときのママとおんなじかおしてる。きょうもね、おじちゃん、いっしょにいないから」
男の子の手が、よしよしと慰めるようにの頭を撫でる。そして、小さな手のひらの上に小さな人形を乗せて、差し出してくる。
「これ、ぼくのかわりにおじちゃんにわたしてくれる?」
「え、でも……」
「パパもね、ごめんなさいするときにママのよろこぶものね、あげるの。だからおねえちゃん、これでなかなおりしていいよ」
にこにこと笑う男の子に、はぎゅうと胸が詰まりそうだった。人形を受け取り、男の子を抱き締める。よりもずっと小さな体だけど、男の子はとても温かい。
「……お姉ちゃんね、おじちゃんに喜んでもらいたい。おじちゃんが嬉しいって思うこと、たくさんしてあげたい」
たとえ、この気持ちがエゴだとしても。
受け取ることを、拒まれても。
渡す前から、渡すことを諦めたくはなかった。