「街に行く」
が事務作業をこなすために与えられた部屋で、同様にレオナから支給された少々古めのパソコンの画面と睨み合っていたが突然の訪問に呆けていると、レオナはもう一度「街に行くぞ」と繰り返した。
何故それを自分に告げるのだろうか。
の頭の周りに大量のクエスチョンマークが浮かぶ。レオナはの態度に業を煮やし、抱えていた布をに向かって放り投げた。ただ一言、「さっさと支度しろ」という言葉と共に。
「わぁ……!」
「お前、入国したときにここも通っただろ。何でそんなに驚いてるんだ」
「だってあのときは急いでたから、ゆっくり見る暇も無かったんだもの。本当に賑やかね」
が頭をすっぽりと覆い隠すフードの中でころころと笑う。
結局ろくな説明もないままレオナから王宮の外へと連れ出されたは、初めて夕焼けの草原へやってきたその日にも通った露店街をレオナとともに訪れていた。
「お願い、聞いてくれてありがとう」
「時間は限られてるが、一ヶ所寄るくらいなら問題ない」
どうやらレオナが街へ来たのには別の目的があるそうなのだが、向かう場所を訪ねたときにこの露店街を通ることを聞き、あるお店にだけ寄れないかと頼んでみていたのだ。
は街中の喧騒が好きだ。が生まれ育った賢者の島は、閉ざされた孤島と呼ばれるに相応しく住民がとても少ない。全国に名を馳せている二つの有名校があるお陰で定期的に開催されるイベント目当ての観光客が多く訪れる時期以外は、ほぼほぼ閑散としている。そのため、人々がひしめき合う光景や賑やかなやり取りは、心躍らされるものがある。常々街を訪れてみたいとは思いつつも作業に追われる毎日の中で、なかなか機会も無く残念に思っていた分なおさらだ。
鼻歌を歌いながらレオナと並んで歩いていると、すれ違った男たちの会話にレオナの名が出てきたことに気が付き、こっそりと聞き耳を立てる。
「そういえば知ってるか? この前の式典でレオナ殿下が女性と参加されたらしいぞ」
「あぁ、兄貴が見に行ったって言ってたな。長いことお一人でしか見かけなかったからどうなることやらと思ったが、ご婚約が発表される日も近いかもしれないなぁ」
「…………」
「しかし
「たいそう気難しい方なんだろ。優秀らしいが、ユニーク魔法もそれはそれは恐ろしい魔法らしいじゃないか。何でも、殿下の怒りを買うと砂にされるとか……奥方ができたら、性格も穏やかになってくれれば良いんだがなぁ」
なんだか、一度聞いたことのあるような内容である。全部が全部ではないが、まるで根拠のないレオナへの風評にの足がピタリと止まる。レオナは確かに気難しい面もあるし、優秀そのものでもある。しかし無闇に力をひけらかすような真似はしないし、怒ったとしてもきっともっと賢く対処するはずだ。
気を抜けば反論しそうになる口を、は力を込めて堪える。眉間に皺を寄せて何やら不満げなに気付いたレオナが、ため息を吐いた。
「なんでお前がそんな顔してんだよ」
「だって……あんな、好き勝手言ってる」
「別にいつものことだ。お前、聞いたことないのか? 夕焼けの草原の第二王子の噂。お前の祖父さんも知ってただろ」
「……聞いたことは、あるわ。おじい様はしょせんは噂だって笑ってたけど」
「噂でも、火のない所に煙は立たぬって言うだろう。結局は、俺は周りからはそういう風に見えてるってことなんだよ」
「…………」
きっと、今この場にいる人間の誰もがレオナのことをよく知らない。レオナが貴人である限り知る由もないのだから仕方ないと言えばそこまでなのだが、やはりは納得がいかなかった。知らないからと言って、好きに決めつけて良いわけでもないのに。一気に機嫌を急降下させたに、ため息を吐いたレオナが別の話題を持ちかける。
「寄りたい店ってのはこの辺か?」
「確か……あ、あそこよ」
は軒先にアクセサリーを並べた店を指差した。すでに懐かしさすら感じる店の風貌には嬉々として駆け寄り、暇そうに頬杖をついていた店主に声をかける。
「おじさん、こんにちは! 私のこと覚えてる?」
「ん?」
店主はきょとりとを見やり、首を傾げた。毎日大勢の観光客が行き交う場所での商売だ。一度会っただけの人間の顔など、覚えていなくても無理はない。当然そのこともは予想済みである。
「ほら、二ヶ月前くらいに王宮に行くって話した女よ」
「うーん……あ! もしかしてあのお嬢さんかい? 『王子様に会いに行く』って言ってた子」
「お前……そんな恥ずかしいこと話してたのかよ」
レオナが呆れた顔でを小突く。
「じ、事実なんだから良いでしょう!」
「ずいぶんロマンチックなこと言って去っていったが、なんだ、ずいぶん良い男捕まえたんじゃねぇか……ん? アンタ、何だか見覚えがある顔だな」
店主がジロジロとレオナの顔を覗き込もうとする。レオナはフードを目深に被り直し店主の視界から外れるように顔を背けた。そんな二人の間に、が割って入る。
「ねぇおじさん、ペンダントを入れておけるようなケース、売ってない?」
「あぁ、それならこれはどうだい?」
店主が店の奥から探して差し出してきたのは、ベロア生地で作られた小ぶりのアクセサリーケースだ。黒い布でできているので、どんな色の宝石も映えそうだ。値段も予想の範囲内だったので、は即決でそのケースを購入した。
「アレ、入れるのか」
レオナが言う『アレ』とは、以前式典の際に衣装と併せてがもらい受けたペンダントのことだ。衣装もペンダントもの身には高価すぎるため受け取るべきか最後まで悩んだのだが、面倒な役割を担ってくれた報酬代わりだとレオナも言うのでありがたく頂戴することになった。ペンダントは簡易的なケースに入れて保管していたのだが、やはりきちんと仕舞っておけるものが欲しかったのだ。
「そんな安物で良かったのか」
店を後にし、満足げに品物の入った袋を抱えるにレオナが純粋に疑問だとばかりに投げかける。『安物』という表現には一瞬ムッとしたが、レオナほどの身分の者から見たらきっとそれほどの安さだったのだろう。現に、レオナの顔からは一切悪気は感じられなかった。
「こういうのはお手頃価格って言うの。値段の割に質も良いのよ。それに以前覗いたときにまた来るって言ったし、ここで買おうって決めてたから」
「律儀な奴だな」
の言葉に、レオナがフンと鼻を鳴らす。レオナは「用が済んだならもう行くぞ」とを促した。
街の外れにある細い路地を抜けしばらく歩いていると、二人は少し開けた大きな崖の下にたどり着いた。崖の頂上はのはるか頭上にあり、ずっと見上げていたら首が痛くなってしまいそうだ。きゃらきゃらと笑い声が聞こえて辺りを見回せば、崖の麓で子どもたちが楽しそうに走り回っていた。のどかで微笑ましい光景に、は目を細める。
「じきに、雨季が来る」
レオナが崖の地肌に触れながら、ポツリと呟く。そういえば二日ほど前に少しの間だけ雨が降った覚えがある。それに、最近の風はやや湿り気を帯びているようにも感じられた。が夕焼けの草原に来た頃は、観光サイトには乾季の半ば辺りと記載されていたので、例年通りであれば雨季の到来はまだだいぶ先のはずなのだが、レオナの感覚では今年の雨季は少し早めに来るそうだ。
「雨季が来れば、地盤が弛んで崖崩れも起きやすくなる」
「それでわざわざ見に来たの?」
「リスクが高いところは一応事前に目星を付けておいた方が対処が取りやすい。特にこの辺りは子どもの遊び場にもなってるからな。この感じだと、そろそろ立ち入りを制限しておいた方が良いな」
どうやら土の状態を確認しているらしい。
「わっ」
レオナの作業を覗き見ていたが、突然声を上げてよろける。腰の辺りに何かがぶつかったのだ。倒れそうになったところを、レオナがの肩を押さえて支えてくれる。が振り向けば、五歳くらいの男の子と女の子が二人を見上げていた。
「おねえちゃんたち、なにしてるのー?」
「あ! ねこのおじちゃんだ!」
「猫のおじちゃん……?」
子どもたちの中で一番年上らしい女の子が指差した先を見れば、レオナが「げ」と呻いての後ろに隠れようとしていた。しかし小柄なの背後にレオナが隠れられるはずもなく、体のほとんどがはみ出している。
「……猫じゃねぇって言ったろうが」
レオナが諦めての隣に並び立てば、子どもたちは揃って「ねこちゃん、ねこちゃん」とはしゃぎながらレオナの周りでぐるぐると回り始めた。レオナはその光景を、うんざりとした顔で見下ろしている。
「皆はいつもここで遊んでるの?」
「うん! パパとママがね、あっちのほうでおみせやってるの」
「おみせのあいだはね、ここでみんなであそんでるのよ」
なるほど。露店を営む人たちの子どもたちが、親の仕事が終わるまで遊んで待っているらしい。
「レオナさん、前にも来たことあるのね」
レオナと顔見知りらしい子どもたちの頭を両手でそれぞれ撫でてやりながら、がレオナに笑いかける。
「おじちゃんねぇ、いつもそこで土さわってるのよ」
「土が大すきなのよ!」
「……っふ」
何故か誇らしげに教えてくれる子どもたちに、が笑いを堪えようとするが、叶わずに吹き出した。レオナは心底不愉快そうな顔をしている。
「俺はしばらくやることがあるから、その間コイツらの相手でもしてやれ」
「あ、なるほど」
が連れてこられた理由は、子どもたちの遊び相手のためだったらしい。何かの作業を行うのであれば、わくわくと期待に満ちた目でこちらを見上げてくる子どもたちの存在を無視することは難しいだろう。子どもたちを見渡してから、は「それなら任せて」と胸を張った。
子どもたちは全部で五人。どの子も五歳前後のようだ。一番幼く見える男の子は三歳くらいだろうか。横に立つ女の子と手を繋いで、じっとレオナとのことを見つめている。
「皆、おねえちゃんも一緒に遊んでも良い?」
「いいよー!」
「おじちゃんは?」
「おじちゃんはねぇ、お仕事があるんだって。ね、何して遊んでたの?」
「おにごっこ!」
「おねえちゃんがおにね!」
「はーい。じゃあ、向こうに行こっか」
の近くにいた男の子が嬉しそうに手を伸ばしてきたので、握り返してやる。そのまま子どもたちを引き連れて、は先ほどまで子どもたちが遊んでいた場所へと向かった。
* * *
「きゃー!」
「おねえちゃんつかまえたー!」
「また捕まっちゃったぁ。じゃあ数えるわね、いーち――」
少し離れた場所からの楽しそうな悲鳴が聞こえてきて、レオナは視線を声の方向へと向ける。は小さな男の子に腰の辺りに抱き着かれながら、満面の笑みではしゃいでいる。
「……アイツ、本当に十八歳か?」
レオナは子どもたちに紛れて全力で駆け回っているを呆れた顔で眺めた。作業に集中するためにへ子どもたちの相手を任せたのは自分だが、まさかあれほど馴染むとは思っていなかった。
今度はが鬼役のようだが、何故か子どもたちは各々がの体に抱き着いて、体重を支え切れなかったらしいは子どもたちもろとも地面へ倒れ込んだ。全員でおかしそうに笑っているので怪我は無さそうだが、もはや何の遊びをしているのかもわからない。危なっかしさについじっと見守っていると、レオナの視線に気が付いたが子どもたちに何かを断り、こちらへ向かってくる。
「はー、あんなに叫んだの久々!」
「怪我はすんじゃねーぞ」
「わかってる!」
「良くあの中に混ざれるな」
「レオナさんも混ざりたい?」
「馬鹿言うな」
レオナが本気で嫌だと顔を歪めれば、がケラケラと笑った。
「何か手伝えることある?」
「こっちは良い。それよりアイツらが邪魔しないようにしっかり見張っておけよ」
「はーい」
元気良く返事をしたが、再び子どもたちの元へと走っていく。
「おじちゃんまだ遊べないってー!」
「終わっても遊ばねぇぞ!」
の後ろ姿に思わず突っ込むレオナだったが、そんな彼などお構いなしにまたはしゃぎ始めた子どもたちとは気が付かない。レオナは盛大にため息を吐いて、もう一度崖へと向き直った。
少し湿った地肌に手のひらを当て、口の中で小さく呪文を唱える。するとレオナの手のひらを中心に半径三メートルほどの範囲が淡く輝き始め、触れている箇所の土が少しずつ熱を帯びていく。レオナが手を離せば、先日の雨で少しゆるみかけていたその辺りの地表が元の固さを取り戻した。この魔法ではレオナのユニーク魔法と熱魔法をかけ合わせて、雨に打たれた地表の水分を適度に飛ばしている。乾燥させすぎても逆に地表がひび割れる危険もあるので、調整には気を遣う必要がある。
現在レオナが行っている作業は、正直なところ気休めでしかない。消費する魔力を最小限に抑えてはいるものの、あまり広範囲には使えない上、また雨が降れば全て無意味となる。崖崩れを対策するのならば、雨が降っても崩れにくくするための工事をするのが最も確実である。しかし夕焼けの草原では居住地の中にも崖は数多く存在し、整備が追い付いていないのが現状だ。雨期に入ると国から崖崩れのリスクがある地域への注意喚起が出されるが、完全に防ぐことは難しく例年多くの被害を出している。
現在レオナたちがいるこの場所とて、例外ではない。レオナがここを知ったのは偶然だった。三年ほど前のことだったか、視察で街へ訪れた際に見つけた細い路地の先が気になりたまたま入った先で見つけた子どもたちの遊び場。露店街で店を開くほとんどの者が、地元の住人たちだ。そして店は家族で営んでいることが多く、幼い子どもを育てている者は預ける先もないため、いつも店まで連れてくるらしい。露店はだいたい朝早くから日が沈んで辺りが暗くなるまで営業している。その間子どもたちは当然退屈し、自然と年の近い子どもたち同士で暇を潰すようになる。そうなると、元気な盛りの子どもたちは今度は思いきり体を動かせる場所を求める。そして、たまたま街の近くにあったこの場所が遊び場にはもってこいだったというわけだ。
広範囲の崖の前は岩や植物なども無く、大きな広場になっている。露店街とは逆の方向に背の高い木々が生い茂る森も広がっているが、子どもたちの親はそこには立ち入らないように言い含めているらしい。どれだけ騒いでも大人たちの邪魔になることのないこの場所で、レオナが初めてやってきたその日も子どもたちは元気に駆けずり回っていた。
以来、レオナは雨が降った後や雨季が近付いてくると自然とここへ足が向くようになった。度々訪れているうちに子どもたちはレオナのことを『たまにふらりと現れる猫のおじちゃん』として纏わりついてくるようになったので、ここへ来る際は作業に集中できるようハンスやラギーを連れてきて子どもたちの相手をさせていた。しかし子どもの扱いに慣れているラギーはともかく、ハンスの方はどうにも子どもたちと相性が悪いようで、子どもたちがハンスを避けるために逆にレオナから離れようとしなくなってしまったため他に適任がいないか探していたのだ。その際、ハンスは苦手ながらも子どもたちを楽しませようと努力していたが実らず、だいぶショックを受けていた。そして今回はラギーも時間が取れず、試しにを連れてきたのだがまさにぴったりの人選だったようである。
予定していた範囲の作業を終え、レオナはと子どもたちを今度はこちら側へ移動させるべく足を向けた。