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「私、良いように使われただけじゃない?」
はレオナの執務室を出た後、離宮から繋がっている使用人しか通れない廊下を使って王宮へとやってきていた。手元に抱えた書類の束を見下ろしながら、きょろきょろと辺りを見渡すが、の周辺に人の気配はない。今は夕方ということもあり、皆各々の作業場にいるのだろう。
それにしても、どうやってファレナに渡せというのだろうか。ファレナへ会う方法を聞かずに飛び出してしまったことにが気が付いたのは、王宮の方へと着いた後だった。まさかいきなり国王に会いたいですと言って直接会いに行けるわけもない。そもそも、誰に言えば会えるのかどうかすら知らないのだ。
一度レオナのところへ戻ろうか。しかしあれほど息巻いて出てきたにもかかわらず戻ってしまえば、また『まともにお使いもできない子ども』扱いされてしまいかねない。
「……なんだか段々ムカムカしてきたわ。あれ、絶対に私を焚きつけるための煽り文句だったわよね」
「あれ、何してるんスか?」
が唇を尖らせて不満を零していると、聞き覚えのある声がの名前を呼んだ。
「あ! ラギーさん!!」
「ちょっと待った。今とてつもなく面倒そうな気配が」
「助けて!!」
まさしく天の恵みか。実にありがたいタイミングでラギーが現れたので、はこのチャンスを逃がしてたまるものかと来た道を戻ろうと背を向けたラギーの腕にしがみついた。とたん、ラギーの体が強張る。
「レオナさんのお使いなの! 王様に会うにはどうすれば良いのか教えてラギーさん!」
「……わかった、わかりましたから、ちょーっと、離れましょうか」
「あ……勝手に触ってごめんなさい、つい」
「どちらかというと誰かに見られる方が困るんスよねぇ、君の場合は特に。君、パーソナルスペース狭すぎません?」
「そう? あんまり気にしたことないんだけど、最近よく言われる気がするからきっとそうなのね」
「まぁいいや。で、お使いですっけ?」
ラギーから見えるように「これを王様に届けろって言われて」と書類を掲げれば、ラギーはなるほどと頷いた。それから王宮に出入りできる者であれば基本的にはファレナを訪ねること自体は咎められたりしないという旨を教えてくれた。会えるかどうかは、ファレナ自身や用件次第とのことだったが。
「助かったわ……ラギーさんも良くファレナ様に会うの?」
「仕事の一環でね。俺も良くパシられるんで。あぁ、ほらここがファレナ国王の執務室ッスよ。扉の前に立ってるのが、専属の護衛の一人」
ラギーが指を差した大きな扉の前には、兵士の様相でこちらを窺って首を傾げる男が立っている。先日のお茶会でファレナの護衛に付いていた男だ。近寄るラギーとに男が何用かと尋ねてくる。ファレナへ渡す書類がある旨を伝えるが、今は不在だそうだ。
「レオナ殿下からの書類であれば、こちらへ」
男が手で示したのは、扉に付けられた郵便受けのような小さな差し入れ口だ。
「えぇと……ラギーさん、コレって直接渡さなくても大丈夫なの?」
「んー、ちょい見せてください……あぁ、この封筒ならそこに入れれば国王様の収受印がレオナさんの方に送られる仕組みになってるんで問題ないッスよ。中から取り出せるのも、二人のどちらかだけなんで」
「へぇ……すごいわね。どういう仕組み?」
「レオナさんが言うにはただの魔力認証ッスよ。最先端のシステムを利用してるらしいけど、細かいことは俺にはさっぱり」
ラギーの説明に、は感心しながら差し入れ口をまじまじと眺めた。魔力というものはとても便利である。
書類を投函し扉全体が何やら淡く輝く様子を確認したは護衛の男がのことをじっと見つめていることに気が付いた。視線が合ったので首を傾げるが、男は「何でもありません」と首を横に振った。
「貴殿が来られたことは陛下へ伝えておきます」
用が済んだなら長居は無用だと促してくるラギーに従い、は男に礼を述べてからその場を後にする。自身の用事もすでに済ませた後だったらしいラギーと並んで広い廊下を歩いていると、前方から二人の獣人が歩いてくるのが見えた。
「あ、ストップ」
「え? ……ッ!?」
突然ラギーに腕を引かれ、後ろから口を塞がれる。そのままラギーに引きずられる形で、二人は柱の陰へと身を潜めた。突然のラギーの行動にが目を白黒させていると、知らない男たちの話し声が聞こえてくる。
「まったく、レオナ殿下の奔放さにも参ったものだ」
「この前の夜会もまた途中で抜け出されたそうじゃないか。王太子殿下の祝賀会であるというのに」
大臣らしい出で立ちの男たちはラギーとの存在には気が付いていないようだ。会話の中にレオナの名前が聞こえ、は耳をそばだてる。
「夜会といえば、この前レオナ殿下と連れ立って参列した娘のことは知ってるか?」
「あぁ、ずいぶん若い娘だったな。どこかの貴族の娘か?」
「殿下の学生時代の知り合いだそうだ。それにしてはいささか年が離れすぎている気もするが……」
「変な勘繰りはしない方が身のためだな。この前の夜会でも例の侯爵が娘に絡みに行って、殿下からひと睨みもらったらしい。娘のことを悪く言って殿下の耳に入ったらどんな報復をされるかわかったもんじゃないぞ」
「あの獣人属信奉の侯爵か。気持ちはわからなくもないがな。ようやく婚約者候補が現れたかと思えば、獣人属でないどころか貴族でもないどこの馬の骨とも知れぬ娘を連れてくるとは……だいたい――」
ラギーとが隠れる柱の前を通り過ぎ、男たちの姿が完全に見えなくなってからラギーはようやくは解放した。
「いやぁ、急にスミマセンね。あの人ら反第二王子派なんスよ。
「反第二王子派って……?」
「そのままの意味ッスよ。レオナさんのことが嫌いな人たち」
「そう……だからあんな風に……」
「派閥があるといっても、あからさまに何かしてくるとかは今はもう無いッスけどね。国王様が許さないんで。さっきみたいに陰でこそこそ悪く言ったり、隙あらば関係者に嫌味を向けてくるくらいで」
男たちの言葉には、ところどころ棘があった。だからラギーからの「君も王宮に来る機会が増えたら気を付けた方が良いっスよ。ああいう輩にはなるべく関わらないのが一番ッス」という忠告にも素直に頷いた。
「……ここには、色んなレオナさんがいるのね」
視線を伏せたは、足元の大理石に向けてぽつりと呟く。王宮の使用人たちの手でピカピカに磨き上げられた床は、当然何も答えてはくれない。隣にいるラギーも同様だ。
は王宮にやって来てからの一ヶ月で、様々な人物からレオナの話を聞いた。相手と直接言葉を交わしている会話だったり、今のように偶然小耳に挟んだりと色んなシチュエーションの中でだ。それらは、全部が全部良い内容ばかりではなかった。
「君の思考って本当にレオナさん中心なんスね」
ラギーの言葉に、がパチリと瞬く。
「何も考えてないようで意外と他人を見てるところはあるけど、最終的に全部レオナさんに結び付く。というか、レオナさんに関すること以外にあんまり興味を示さないッスよね。自分のことだって言われてんのに」
先ほどの男たちからも自身について言及されてはいたが、正直なところ自分が他人からどう思われようが、は気にしていない。しかしが関わった結果がレオナの評価へと繋がるというのならば、話は別だ。
レオナの役に立てるのならばと一日限りのパートナーとして一役買ったが、果たしてそれは本当にレオナのためになったのだろうか。むしろの身では、レオナの印象を下げてしまった面の方が大きかったのではなかろうか。
「……あ、しまった」
「どうかした?」
をじっと見つめたラギーがこの後レオナの元へ戻るのか尋ねてきたので、頷く。
「じゃあ良いッスかね〜。レオナさんが何とかしてくれるっしょ」
「えぇ、何がよ」
「大丈夫大丈夫。ほら、さっさと戻りましょ。俺は途中までッスけど」
は首を傾げるが、ラギーは答えてくれないままの背を押して先を急がせる。ラギーの言葉の意味は気になったが、レオナのお使いも無事に終えられたことだし、報告を済ませてしまわなければ。
「お前、ラギーと会ったのか?」
レオナの執務室へと戻ったに、レオナは開口一番そう尋ねた。は不思議に思いながらも頷く。
「さっき王宮の方で会ったわ。どうしてわかったの?」
「…………匂い、付いてんぞ」
「え、嘘」
自分で腕や服を嗅いでみても、あまり良くわからない。レオナが言うのであれば間違いないのであろうが、そもそもラギーの匂いというものがどんなものであるのかも知らない。
「よっぽど近付かなきゃ、ここまで付かねーがな」
「あぁ、一緒に隠れなきゃいけない時があったからその時かしら。狭かったから確かに距離は近かったわね」
意味があるのかどうかはさておき、とりあえず埃を払う時のように腕や服を叩いてみた。匂いなのだから、体を洗わなければ取れないだろうか。
レオナは大きくため息を吐くと、机の引き出しをゴソゴソと漁り始めた。そして何かスプレーのようなものを取り出すと、の方へ投げ渡してくる。急に飛んできたそれを、は不格好になりながらもなんとか受け止めた。
「それ、体にかけとけ。頭から全身にな」
「コレ、何?」
「消臭スプレーみたいなモンだ。対獣人用のな」
「消臭って……そんなに臭いの?」
「他の連中から変に勘繰られたくなきゃ素直に従っとけ」
「なるほど」
要はに付いてしまったラギーの匂いが、二人がただならぬ関係だと誤解させてしまう可能性があるということらしい。獣人属の人たちは色々と気にしないといけないことが多いようで、大変そうだ。
「……それ、全部やるから。気を付けろよ」
「え、良いの? ありがとう」
今日の中庭での作業は終わったが、確認したいことがあったのでもう一度中庭に戻る予定だった。その際にでも、浴びておこう。はスプレーの缶を腕に抱えて、レオナに向き直る。
「そうだ、明日には仮植えする植物の候補の一覧がまとまるから、渡すわね」
「あぁ、前にも言ったが一覧には――」
「入手経路と予算と管理方法の予定もちゃんと、でしょう。わかってるわ」
「なら良い」
の返答を聞いたレオナが、満足げに口角を上げる。
「あぁそうだ。明後日だが、一日業者が入るから作業は休め」
「業者?」
「点検だ」
「ふぅん。わかったわ。あ、ねぇ、じゃあお休みもらっても良い? 行きたいところがあるのよ」
「好きにしろ。ほら、休暇届、書いてけ」
「はーい」
手渡された紙にレオナから借りたペンでいそいそと必要な項目を記入していく。
実はこの夕焼けの草原には、祖父の古い友人がいるのだ。その友人も祖父同様、長い間庭師として活躍していた人物だ。現役を退いてからしばらく経つらしいのだが、今もまだ国に残り自宅の庭をいじりながら生活しているそうだ。父親を経由して連絡先を聞いていたは、機会があれば会いに行きたいと伝えてあった。
思わぬタイミングで飛び込んできた好機を逃す手はない。せっかくの休みなので本当は買い物にも行きたいのだが、そちらはもし時間があればにしよう。何せ、現地で活躍していたプロフェッショナルから話を聞けるチャンスなのである。
は浮き足立ち逸りそうになる気持ちを抑えながら、レオナに休暇届を渡してからうきうきと中庭へと足を向けた。