花笑みのプローミッサ Chapter.2 花笑みのプローミッサⅡ 1-1

「ねぇおじいさま、私、またおにいさんに会いたいわ」

 ダイニングテーブルの椅子にちょこんと腰かけ、プラプラと小さな脚を揺らすが、期待に満ちた目でローエンに訴える。

「じい様の仕事を見るためじゃなくて、彼に会いに行きたいのかい?」
「おじいさまのおしごとも見たいわ。でもね、おにいさんとまたおはなししたいのよ」

 にこにこと満面の笑みを浮かべ「あとね、あのあかいお花もまた見たいのよ、それからね」と次々に自身の願望を挙げていくは、つい先日七歳になったばかりの可愛い可愛い孫娘だ。

 我が孫娘ながら、ずいぶんと欲深くなったものである。言葉も達者になり、己の欲求や感情をより外へ出せるようになったは、日々めまぐるしい成長を見せている。ローエンは自身の背中を追いかけて回ってばかりいたの変化に、喜びとともにほんのりと寂しさを覚えた。

 の言う『おにいさん』とはつい先日ローエンがと一緒に、仕事場の一つであるNRCの植物園を訪れた際、の面倒を見てくれただけでなく、妖精に拐かされそうになった彼女の危機をも救ってくれた少年のことだ。少年、といっても彼は確かすでに成人していたはずなので、青年と呼んだ方が正しいのかもしれない。しかし一応学生の身分であることは間違いないので、ここは少年と表すことにしておく。

 どうやらは少年のことをいたく気に入ったようで、家へ帰ってきてから今日に至るまでことあるごとに『おにいさん』の話を周囲に聞かせていた。

 男や、その両親が暮らす賢者の島は、人口や訪れる者も少ない離島だ。と年の近い子どももほとんどおらず、話し相手も限られている。そんなにとってあの日の出会いはとても新鮮で、よほど輝かしいものであったのだろう。

「おにいさんと会って、何をしたいんだい?」
「おはなしするのよ。お耳もね、またね、さわらせてっておねがいするの」

 お願いしたところで、触らせてもらえるだろうか。まぁ、勝手に触ろうとしない心積もりを持てるようになっただけ良かったのだろう。

「あとはねぇ……『ありがとう』っていいたいのよ」
「お礼なら、この前もちゃんと言えていたじゃないか」

 悪いことをしてしまったら『ごめんなさい』を、嬉しいことをしてもらったら『ありがとう』を言えるようにと日頃からしつけられているは、先日も助けてくれた少年へしっかりお礼を言えていた。

「わたしね、おうちにかえれるのがね、うれしいの。おじいさまとおかあさまと、おとうさまと、おはなしできるのも、うれしいの」

 がニコニコと笑う。

「おにいさんがね、私のうれしいをたくさんまもってくれたのよ。『ありがとう』はね、私のうれしいなの。だからね、こんどは私がおにいさんにうれしいをあげたいのよ」

 少年が守ってくれたものを、は幼いながらにきちんと理解していた。「おにいさんはなにがうれしいかしら」と悩み始めたを微笑ましく見守りながら、ローエンは少年に感謝した。彼はに、本当に素晴らしい時間を過ごさせてくれた。

 前回はローエンの仕事を見学させてやることができなかったこともあり、また次回一緒に行こうかと伝えれば、はパアと顔を輝かせて飛び跳ねて喜んでいた。


 
「それで、結局連れて来なかったのか」
「いやぁ、ものの見事に熱を出しましてねぇ。それでも行くんだって泣きわめいて大変でしたよ」
「それは……すごそうだな」

 レオナは癇癪を起こした子どものパワーも、それを宥める苦労も身をもってよく知っているのだろう。以前聞いた話では、彼の甥っ子はと同じくらいの年齢だったはずだ。その子も、と同じようにとてもレオナに懐いているらしい。

「あまり我儘を言わない子なんですがねぇ。よほど貴方に会いたかったんですね」
「……目が笑ってねーぞ」
「目に入れても痛くない孫娘ですから。複雑なのですよ」

 ローエンはホロリと泣くように目元を押さえる真似をするが、レオナは動じない。ローエンの猿芝居など、すっかりお見通しのようである。しかし泣きたい気持ちは本物である。まさかこんなに早く、家族以外の異性を慕う姿を目にすることになるとは思っていなかった。

「お前の孫娘もチェカのやつも、なんだって俺なんかに懐くんだか」

 心底理解できないと肩を竦めるレオナに、ローエンは旧友から聞いた話を思い出した。もう長いこと顔を合わせていない彼もまた、ローエンと同じ庭師である。確か今はレオナの故郷である夕焼けの草原で働いていたはずだ。その旧友から昔に聞かされた、とある男の噂。

 無愛想で気難しがりや。恐ろしいユニーク魔法を持ち、大臣たちからも酷く畏れられているという、第二王子。しかし実際に会って話してみれば、やはり信じられるものは自分の目だけだとよりはっきりと思い知らせてくれた。

 レオナ・キングスカラーという男の本質は、きっと実際に彼と接したことのあるものにしかわからない。いいや、ただ接しただけではいけない。正面から向き合って幾度も言葉を交わし、さらに自分以外の人間と彼との会話を傍から見ることでようやく彼のことを少しだけわかることができるのかもしれないと思えるような、とにかくわかりづらい男だった。そのわかりづらさ故に、もしかしたら本人もわかっていないのかもしれない。彼の中に確かに芽吹いている、他者を惹きつけるもの。

「優秀すぎるのも、場合によっては考えものですなぁ」
「あ? どういうことだよ」

 レオナは優秀だ。賢さや知識量もさることながら、生まれ持った魔力量の多さとそれを活かせる技術。レオナ自身も己の優秀さを自覚している。そして、それらが元々のポテンシャル以上に、レオナが多くの努力を重ねてきた賜物だということも。

 だからこそ、レオナは自身の境遇を憎んでいる。第二王子である彼はどれだけ努力したところで、どれほどの功績を残そうが、王にはなれない。

「見えすぎるからこそ、見えなくなっているものもあるということですよ」



* * *
「……ん」

 ふわりと浮上する感覚の後、ズキズキと痛み出した体の節々にレオナが眉を顰める。いつの間にか眠っていたらしい。王族のために作られたらしい最上級の座り心地を誇る椅子であっても、度重なる睡眠不足と疲労を和らげることはできない。

 最後にまともに眠ったのはいつだったか。

 ここ数週間ほど、レオナは多忙を極めていた。議会から回されてくる大量の立案書と、先日終了した古代遺跡の調査結果。そして一ヶ月後にレオナが参加する予定の神殿の調査の下調べと準備等々。処理しても処理しても、仕事が減るどころか次々と増えていくばかりだ。ラギーのようなレオナ配下の職員たちに任せられる案件は任せているが、少人数体制で回している彼らの手には負えない量の業務が舞い込んできている。

 そろそろ新しい職員を入れるべきだろう。第二王子であるレオナの元で働きたいと望む者は多い。しかしその中には純粋に己の知識や力量を活かせる職場に就きたいという者たち以外に、レオナが持つ権力のおこぼれに与りたいという下心を抱く者、レオナを失墜させてやろうと企む者も多くいる。それらの邪な動機を隠し潜り込もうとしてくる輩を見抜き、それでいて優秀な人材を求めてふるいにかけてしまうと、どうしても数が限られていく上に時間も労力もかかる。そちらの手配はハンスに任せようと、レオナはすっかり冷めきってしまったコーヒーを口に含むと、途中だった書類の処理を再開した。



 目線の高さまで積み上がった書類の山をレオナが三分の二ほどの量まで減らした頃、執務室の扉が二回叩かれた。この音と気配は、ハンスだ。入室を促し、レオナの元へやって来たハンスから一通の手紙を受け取る。

「NRCの学園長からです」
「あぁ」
「……殿下、少し休まれては?」
「さっき少しだけ仮眠は取った」

 正しくはうたた寝していただけなのだが、大差ない。

「しかし目の下の隈が……いつも以上に、痛ましいです」

 レオナが多少の疲労ぐらいでは倒れることもないということを知っているハンスが指摘するほど、見るに堪えない顔をしているらしい。どこかのタイミングで、しっかり睡眠は取った方が良さそうだ。

 新しいコーヒーを淹れてきます、と下がったハンスを見送り、レオナは手の中の手紙の封を切って開ける。

 黒を基調とした上質な封筒に、NRCの校章と同じ柄の封蝋。レオナが母校からの手紙を受け取るのは初めてではない。封筒の裏側に流暢な筆跡で書かれたサインは、確かにNRCの学園長であるクロウリーのもの。しかし、実際の送り主は別人だ。

 レオナが学園を卒業してから、もう十年近く経つ。その間、レオナはその人物と数えきれないほど手紙を交わしたことがあった。何故自身の名前で手紙を送らないのか。それは学園長の名を介した方が、レオナの元へ早くかつ確実に届けられるからである。かといって、内容は緊急性のあるものでもなかった。単に、利用できるからより便利な方法を採っているだけである。

「『ご依頼の薬草が揃いました。近々そちらへ届くよう手配済みです。追伸、孫は元気にやっていますでしょうか? 夕焼けの草原へ着いたら手紙を寄越すよう言ってあったのですが、まるで音沙汰がありません。便りが無いのは元気な証拠とも言いますが、やはり心配なものは心配です。キングスカラー殿からも――』……追伸の方が長ェじゃねーか」

 むしろ、本文もわざわざ手紙で連絡するほどのことでもない。しかしバランスの取れた美しい字で手紙を書いた男は、携帯端末を持っていない。孫娘の方は持っていたはずだが、まさか両親にも連絡をしていないのだろうか。夕方には報告書を出しにやって来るはずだから、その際せっついておこうと決めてレオナは手紙を引き出しにしまった。



「お前、家に連絡してねーのか?」
「え、してるわよ?」

 夕方、予定通りレオナの前へ顔を出したに尋ねれば、当然だとばかりにレオナの予想とは正反対の回答が返ってきた。

「だがローエンのやつが連絡が無いって嘆いてたぞ」
「えっ! 何でおじい様とレオナさんが連絡とってるの!?」
「NRCの植物園で育ててる希少な薬草なんかを定期的に流してもらってるからな。あぁ、ちゃんと公的に依頼してる。そんな路地裏で悪事を目撃してしまった通行人みたいな顔すんな。その連絡で、アイツから手紙が来る」

 そういえば、はレオナとローエンの文通――本当は仕事の依頼者と請負主の連絡なのだが、毎回ローエンが仕事の連絡以上に孫娘の話題ばかり載せてくるので、ほぼ私的なやり取りとなっている――を知らないのであった。

「じゃあもしかして、私がレオナさんと会えなかった間も?」

 レオナが頷けば、はショックを受けてのけ反った。

「おじい様、私が会いたいってぼやいてる横で、酷いわ……!!」
 がそれを知れば、きっと自分もレオナへ手紙を書くと言って聞かなかっただろう。
「……お前、そんなにずっと俺に会いたがってたのか」
「当たり前じゃない。なんなら初めて会ったあの日の翌日からずっと会いたくておじい様にお願いし続けてたわよ。結局一度も会えずじまいだったけど」

 はなんてことない調子で言ってのけたが、のレオナへの入れ込みようはレオナの想像以上だった。

「ね、おじい様とはどんなお話するの?」
「あぁ? だから薬草の手配と……主にお前についてだな」
「私?」

 きょとりと首を傾げるは、ローエンがいかにのことを溺愛しているか、気が付いていない。ローエンが気が付かせないように接しているからだ。好奇心に負けて何故そんな回りくどいことをするのか聞いてみたことがあったが、その回答をレオナは知らない方が良かったと思ったので、記憶の奥底に封印した。

「おじい様、元気かしら。ね、おじい様にお返事書くなら、私も元気にやってるから大丈夫って伝えておいてよ」
「自分で言えば良いだろ」
「だって手段が無いもの。お母様にはメールで連絡してるから、それでもおじい様まで伝わってないってことは見れてないのよ」

 どういうことだ。そのまま尋ねれば、が頬に手を当てて困ったように眉を下げる。

「お母様もおじい様も、かなりの機械音痴だから端末も自力じゃ使えないのよ……お父様は単身赴任で家にはいないし、私がいた時は私がチェックしてあげてたんだけど……」

 にわかには信じがたい話であったが、触れただけで機械を故障させる人物がいることも知っていたため、レオナはそういう者もいるのだろうというくらいの認識で聞き流した。

「じゃあ手紙でも書けばいいだろ」
「どうやって出すの?」
「……出したことないのか?」

 がこくりと頷く。父親や知人とは携帯端末での連絡が可能だったので、わざわざ紙媒体で連絡を取る必要が無かったらしい。そもそも、世間では手紙文化自体もだいぶ廃れてきている。今もまだ手紙という手段を使っているのは一部の好事家たちやローエンのように機械が扱えない、あるいはそれに類する環境に住む者、あとは格式を重んじる貴族たちくらいかもしれない。

 確かと良く話している侍女がいたはずだ。使用人が利用している配達経路があるからあとでソイツに教えてもらえとこの件の話題を終わらせ、レオナはに一枚の書類を差し出す。

「何?」
「お前に関する書類。ファレナに届けろ」
「えっ、王様に!? 私が!?」
「自分の書類なんだから道理にかなってるだろ」
「まぁ確かに……え、私そんな気軽にファレナ様に会って大丈夫なの? ただの庭師なのに?」
「一度会ってるんだから大丈夫だろ」
「……適当に言ってない?」
「ついでにコレとコレと、コレも一緒に。あぁ、中は見るんじゃねーぞ。見たらお前の首が飛ぶからな、色んな意味で」
「そんなもの庭師に預けないでよ!?」
「冗談だ。ファレナにしか開けられないようになってるから安心しろ」
「重要な書類だってことには変わりないじゃない……」

 まだ迷っている様子のを、レオナはわざとらしくため息を吐いてけしかける。

「まだ早かったか? お使いくらいできるかと思ったんだが。まぁ無理だってんなら」
「こ、子ども扱いしないで! お使いくらいできるわ、届ければ良いんでしょう!?」

 案の定、むきになったは息まいて書類の束を受け取ると肩を怒らせながら執務室を後にした。レオナはそんなの背を見送りながら、笑いを堪えきれなかった。と入れ替わるように入ってきたハンスが、くつくつと笑うレオナへ呆れたように声をかける。

「はー…本当に扱いやすいな、アイツは」
「殿下……お戯れが過ぎるのでは? すれ違う私にも気が付かないほどに頭に血が上っていたようですよ」
「ハンス、来てたんなら入って待てば良かっただろ」

 ハンスが扉の外で待機していた気配は感じていたが、どうやらレオナとの話が終わるまで待っていたらしい。

「ご冗談を。殿下の貴重な息抜きのお時間をお邪魔するわけには参りませんので」
「はァ? 息抜きって何のことだよ」
「それはさておき」
「おい」
「例の件、承認が下りました」

 ハンスの言葉に、レオナの眉がピクリと動く。

「……数日中に決行する」
「彼女には?」
「後で戻ってくるから、適当に伝えておく。何か聞かれたら合わせとけよ。まぁアイツなら疑いはしねーだろうが」
「仰せのままに」

 それからいくつかの雑務の連絡を交わし、自身の仕事へと戻っていったハンスを見送ったレオナは彼から受け取った一枚の書類に視線を落とす。

「……何事も無いのが、一番だがな」

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