花笑みのプローミッサ Chapter.1 花笑みのプローミッサⅠ 4-3

* * *

 レオナに導かれるまま歩いてたどり着いたのは、大きな庭園だった。会場の熱気で火照っていた体に、夜風の冷たさが心地好い。

「広い庭! ここが王宮の庭園なのね」
「その一つだな」
「え、もしかして何個もあるの?」
「メインのでかい庭園が一つと、少し小さめの庭が三つあるな」

 王宮の庭園は時期によっては観光客向けに解放されていたはずだ。レオナに尋ねてみれば、それはメインではない方の庭の一つらしい。しかし小さめと言ってもその広さは離宮の中庭の数倍はあるそうだ。

「いつかそのメインの方も見てみたいわ」
「機会があればな」

 はすう、と鼻から息を吸った。嗅ぎ慣れない花の香りがの鼻孔をくすぐる。

 夜の空気は好きだ。昼間の太陽の香りを感じさせるカラリとした空気も良いが、今は気温の下がった夜のひんやりとした空気が緊張で重苦しくなっていた肺を綺麗さっぱり洗い流してくれる気がした。

「あ!」

 体の中の空気を入れ替え大きく伸びをしていたが、視界の端に捉えた花の方へと駆け出す。

「見てレオナさん! これ、『月の雫』じゃない!?」
「月の雫? ……あぁ、あの安眠効果の魔法薬にも使われる花か」
「それよそれ! すごい、初めて本物を見たわ!」

 興奮し頬を色付かせるの目の前には、肩ほどの高さの生け垣にの手のひらと同じくらいの大きさの花が咲いている。その花弁は白いが、月の光を受け銀色にも輝いて見える。この花には見られないが、夜露を纏った姿はより一層美しいことだろう。『月の雫』という名前の由来は、その姿から来ている。

「綺麗……」

 ほう、と思わずため息を吐いたに、レオナが「お前でも見たこと無かったのか」と意外そうに瞬いた。

「だってこの花、育てるのが難しくて有名なのよ? 熟練の専門家が温室で付きっきりで世話をしても花を咲かせられないことも多いのに、こんなにたくさん……え、でも夕焼けの草原の気候で育てられるなんて聞いたことないわ。あ、そういえばこの一帯の植物は全部そうだわ。もしかしてこの庭園って魔法で管理しているのね? あ、あっちの桃色の花はもしかして――」
「……急に活きがよくなったな」
「あ! ほら、やっぱりハイアランジドの花よ! これはね、小さな花をたくさん付けて、それが一個の塊のように見えるのが特徴なのよ、ほら、花が小ぶりで可愛い! でも桃色はとっても珍しいわ、色は土の成分で変わるって言われてるんだけど」

 の勢いに引き気味のレオナには気が付かずに、どんどん庭の奥へと入り込んでいく。ハイアランジドの根本をよく見ようと屈んだところで、髪が葉に引っかかり小さく悲鳴を上げた。そういえば、夜会のドレスに合わせて髪を高くまとめ上げていたことを忘れていた。

「おい、どうした」
「か、髪、引っかかっちゃった……」
「何してんだよ……ったく、じっとしてろ」

 ため息を吐きながら、レオナがの髪に絡まったものを外してくれる。

「取れたぞ……っふ」
「え、何?」
「お前、頭すげーことになってんぞ」

 どうやらかなりぼさぼさになってしまっているらしい。が笑って誤魔化そうとすると、レオナの指がの方へ伸びてくる。親指が、の目の下の辺りを拭き取るようにこすり、離れていった。

「土まで付けて……この短時間でよくここまで汚れられるな」
「いつもの癖で……」
「髪、全部解いちまえよ。もう会場には戻らねーから」
「戻らない? じゃあ、良いかしら」

 マキナやフィーネが頑張って整えてくれた髪型を崩してしまうのは忍びないが、レオナが言うにはすでにずいぶんと乱れてしまっているようだから致し方ない。髪の隙間に散りばめられたパールの飾りを一つずつ丁寧に外していき、編み込みも解いていく。ワックスで少々ごわごわする髪を手で梳きながら、は解放感に息を吐いた。やはり、格式ばった装いというものは肩が凝る。ドレスは脱げないが、髪を下ろすだけでもずいぶんと気が楽になった。

 レオナもしゅるりとタイを解き、首元のボタンを何個か外した。と同じようにひと息つくレオナを、じっと見上げる。の視線に気が付いたレオナはおもむろに上着のジャケットを脱ぐと、何も言わずにの肩へかけた。ほんのりと包み込むような温もりと甘い花の香りに先ほどのレオナとの距離を思い出し、の顔が熱を帯びる。ジャケットをかけてくれる一連の動作もそうだったが、レオナは行動がいちいちこなれていてスマートだ。そしてそれが様になっているところが、非常にレオナらしい。ほかほかと熱くなってしまった頬を手で扇ぎながら、ちらりと横に立つレオナを窺う。

 今日の夜空には雲がない。遮るものが無い月の光が、夜闇の中にレオナの輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。髪型も服装も、いつもとはまるで違うレオナ。
 そこに立っているのは確かにレオナなのに、には別人のように思えてならなかった。

「……なんだか変な感じ」
「何がだ?」
「私にとってはただの『レオナさん』なのに。この国の人たちにとっては『夕焼けの草原の第二王子』なのよね」

 会場で何人もの貴族たちを相手に話すレオナの表情も口調も、どれもがは目にしたことの無いものばかりだった。

「そうだな。無愛想で、気難しくて、嫌われ者の第二王子だ」
「えぇ? 今日のレオナさんはとても人当たりが良くて、気安くて、色んな人たちから誉められてる人気者だったわよ」
「だろうな」

 レオナが笑う。口元を歪めて、あの『変な笑い方』をした。それを見て、の胸がぎゅうと詰まりそうになる。レオナは、どうしてこんな顔をするのだろう。

「今日の俺は、そう見えるようにしてるからな」
「そう見える?」
「誰もが望む、理想の『第二王子』。現実とはかけ離れた、幻想を見せてやってるんだよ」
「……どうして?」
「んなモン、そうした方が楽だからに決まってんだろ。角が立たなきゃ、面倒ごとも起こらない。ま、他国のお貴族様どもにしか効果は無いけどな。それに」

 レオナが目を細める。先ほどの『変な笑い方』は鳴りを潜め、どこか遠くを見つめるレオナの横顔は凪いでいた。まるで、感情を削ぎ落としてしまったかのように。

「どれだけ愛想を振り撒こうが、望みを叶えてやろうが、どうせ最後に求められるのは……俺じゃない」

 さらさらと葉が擦れ合う音が聞こえる。冷たい風が、の頬の温度をさらっていった。

「誰もが求める『王子様』は、アイツだけだ」

 レオナは今、誰の顔を思い浮かべているのだろうか。その答えに思い至れるほど、はレオナのことを知らない。

「……ねぇ、レオナさん」

 がドレスの裾をはためかせて、レオナの隣に立ち並ぶ。

「私に、レオナさんのこと色々教えてよ」
「あぁ? 色々って何をだよ」
「何でも良いの。私は昔会ったときのレオナさんのことしか知らないんだもの。もっと色んなレオナさんを知りたいわ」
「改まって聞かれても何も言うことなんてねーよ」
「えぇ、何かあるでしょう? 好きな花とか、好きなものとか……あ、そういえばレオナさんってユニーク魔法使えるんでしょう? 詳しくは知らないけど、この前ファレナ様から少しだけ聞いたわ!」

 「どんな魔法なの?」と期待と羨望に満ちた視線を向けるから、レオナはふいと顔を背けた。

 そして何も言わずに、足元の小枝を拾い上げる。そしてには聞こえない声量で何かを囁くと、レオナの手の中に乗せられた小枝が静かに砂へと姿を変えた。それはレオナの手のひらから風にさらわれていき、きらきらと銀色の光を振りまきながら闇の中へ溶け込んでいった。

全てを干上がらせて砂に変える・・・・・・・・・・・・・・魔法だ」
 振り返ったレオナは何かを諦めた時のような、自嘲めいた笑みを浮かべていた。

 『干上がらせる』という表現を使うということは、対象の水分を失くす魔法だろうか。先ほどの小枝の変化とレオナの言葉の意味を頭の中で繋ぎ合わせ、真っ先に頭に浮かんできたイメージはからからに乾いた大地だった。雨量が足りず、水不足となり起こる干ばつ。

 植物も、動物も、人も、水が無ければ生きることはできない。乾季と雨季を繰り返す夕焼けの草原では、常に干ばつが起きるリスクを抱えている。だからこそ、この国では何よりも水を大事にし、その恵みへの感謝を欠かさない。そんな国の中で、レオナのユニーク魔法がきっと快く思われないであろうことは、この国に来てまだ日も浅いでも容易く想像できた。

 は己がレオナの中の触れてはいけない部分に触れてしまったことを悟った。は咄嗟に謝ろうと口を開いたが、声を発することはできない。

 レオナの表情を見れば、レオナも自身のユニーク魔法について思うところがあるのは明白だ。おそらくは進んで他人へ話したい内容ではないにもかかわらず、それを言わせてしまった罪悪感がある。しかしが謝ってしまえば、それはすなわちが『悪いこと』をしたと認めるということだ。

 の『悪いこと』は、レオナに話をさせてしまったこと。何の話を? レオナのユニーク魔法のことを。レオナのユニーク魔法は『良くないもの』だから、レオナは話したくないのだと。が謝るということはつまり、結果的にレオナのユニーク魔法が『良くないもの』であると認めるということにもなるのではなかろうか。

 考えすぎかもしれない。けれど、一度浮かんできてしまった思考は消えてくれなかった。

 レオナの説明だけを聞けば、確かに彼のユニーク魔法は良い印象を与えない。しかしどんな事象にだって、必ず良い面や悪い面の両方があるものだ。レオナのユニーク魔法だって、使いどころを選べば有用な魔法だろう。それにレオナは優秀な魔法士でもある。ならばその効果だってお墨付きで、きっと役立てる方法だってあるはずなのだ。

 でさえ思い至ったことにレオナが気が付いていないはずがない。レオナはあえて自身の印象を下げるような言い方をした。そして声音も表情も、レオナの全てがレオナ自身を蔑む色をしていた。

 それが、の思うレオナの『変な笑い方』だった。

 『変な笑い方』とはとどのつまり、レオナ自身・・・・・へと向けられる笑みのことなのだ。そしてその表情を目にするたびに、の心がもやもやとする理由もわかった。

 はレオナに憧れている。が憧れるレオナ・キングスカラーという男を、レオナ自身が否定しているということが痛いほど伝わってくるからこそ、はレオナの『変な笑い方』を許容できなかった。なんとも自分本位で、浅ましい理由である。しかも。

 はきゅ、と自身の唇を噛む。あんなにレオナにはしてほしくないと思っているはずの表情を、自身が引き出してしまっていた事実に気が付いた。何も知らなかったとはいえ、は自分の無神経さを悔やんだ。しかし一度口にしてしまった言葉は、無かったことにはできない。

 謝りたい。だけど、謝りたくない。矛盾した気持ちが、の口を縫い付ける。

 の葛藤を知ってか知らずか、レオナは何事も無かったかのように「少し冷えてきたな」と空を見上げて呟いた。

「…………」

 どんな反応を返すのが正解だったのか、にはわからない。わからないけれど、当の本人であるレオナがすでに何も気にしていない様子なので、今さらが蒸し返すものでもないということだけはわかった。

 は肩に羽織るレオナのジャケットの襟をかき合わせる。の体よりも一回りも二回りも大きなそれはの体をすっぽりと覆い、冷たい夜風から守ってくれる。この優しい温もりの中にいれば、が寒さを感じることは無い。

「腹減ったな。何か食べに行くか? お前もろくに食べられなかっただろ」
「……でも、今日は夜会の準備で皆出払ってるんでしょう?」
「料理長はいないだろうが……あぁ、ラギーならまだ残ってるんじゃないか。久しぶりに頼むか」
「ラギーさんが作ってくれるの?」
「NRCにいた頃はアイツに俺の食事の世話をさせてたからな」
「え、ラギーさんって後輩だったんでしょう? そんなことさせてたの……?」
「ちゃんと報酬はやってたぞ」

 心外だとばかりに眉を寄せたレオナだったが、そういう問題ではない気もする。まぁ、本人たちが気にしていないのなら別に構わないのだけれど。

「行くぞ。何食いたいか考えておけよ。アイツなら大概は作れるはずだ」
「あ、ちょっと待って……わっ」

 に背を向けさっさと歩き出してしまったレオナを慌てて追いかけるが、焦ったせいでドレスの裾を踏みそうになりつんのめる。裾の長い豪華な服も、ヒールの高さも、やはり今の自分ではちっとも着こなせやしない。

 レオナが「何してんだよ」と呆れながらに手を差し伸べる。はその手の上に自らの手を乗せた。今日一日で、もう何度も触れたレオナの手のひら。大きくて、温かくて、を力強く引っ張ってくれる手のひら。

『いつまでも手を引き続けてくださるほど、甘い方でもありませんけど』

 アニーの言葉が、頭の中に響く。

 わかっている。レオナがの手を引いてくれるのは、がレオナのパートナーでいられる今日だけだ。『王子様』の隣を並んで歩けるのも、全て今日だけ。今日が終われば、レオナとはまた雇用主と使用人という関係に戻る。それはわかっていたし、別に構わない。しかしは今この瞬間にも手を握ってくれる温もりが離れていってしまうその時のことを思い、とても寂しい気持ちになった。

 はこの手を離したくないという気持ちを込めるように、レオナの手を握る。レオナが首を傾げてを見た。は誤魔化すように「少し寒くて」と笑った。

そう言えば、レオナはきっと、の手を握り返してくれるだろうから。

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Chapter.1 花笑みのプローミッサⅠ【完】