花笑みのプローミッサ Chapter.1 花笑みのプローミッサⅠ 2-1

 がレオナの元で働けるようになってから――正確にはまだ試用期間だが――一週間が経った。

「この辺りは全部入れ替えね」

 は根腐れを起こしてしまっている植木の根元を覗き込み、小さく嘆息する。

「できるなら、元の元気な姿に戻してあげたかったけど……」

 色を失くした枯れ葉に触れながら項垂れるの懐から、焦げ茶色のひっつめ髪で幼いこどもの姿をした妖精がぴょこりと顔を出した。羽をはためかせて宙に舞った妖精は、光の粒を周囲に散らしながらを真似するように目の前の植木に手を伸ばす。そして妖精の動向を見守っていたに向け、左右に首を振った。

 どうやら、妖精が見てもこの植木を元気にすることはできないようだ。

 手のひらサイズの体に花や葉をドレスのようにまとわせたこの妖精は、植物の妖精だ。植物を司る妖精は、全国的にも複数の種族の存在が確認されている。

 が末席として身を連ねる一族は、植物の妖精の一部から『加護』という名の恩恵を受けていた。『加護』と言っても、無条件に守ってくれたり助けてくれたりするわけではない。妖精はあくまで自身が気に入ったものや欲しいと思うものを求め、それを得られる対価として自身の力や持ち物を差し出す、という関係を『加護』と称しているだけである。つまり、加護を受ける側の者も相応の対価を差し出すことで妖精の持つ力を借りられるといった、相互利益に基づいた関係だ。

 の一族は体内に流れる魔力を妖精たちから気に入られている。理由は不明だが、中でもの持つ魔力は特に好まれているらしく、幼少期から度々妖精にちょっかいを出されることが多かった。レオナと出会ったときも、そのせいで危うく妖精に連れ去られそうになったほどだ。

「まぁ、あれは私が隙を見せたせいでもあるんだけど」

 が当時の様子を思い出し、懐かしさに目を細める。の近くを舞っていた妖精は不思議そうに瞬き、ふわりとの肩に降り立った。この妖精とは三年ほど前に出会ったので、十一年前の出来事は知らない。

「――――?」

 妖精が何かを尋ねるように首を傾げるが、には妖精の言葉はわからない。しかし妖精の表情や動きから、何を伝えたいのか予想することはできる。

 当たりを付けるのであれば「何を考えているの?」だろうか。

 は「何でもないわ」と笑いかけてから、妖精の小さな頭を優しく撫でた。妖精は気持ちよさそうに、にこにこと笑みを浮かべる。

 庭師として仕事を請けるようになってから、は妖精に力を借りる機会が増えた。しかし妖精は気まぐれな性格の者が多く、気に入らないことがあると逆に害を与えてくることもある。そのため妖精との関係をより確実かつ良好なものとするために、契約を結ぶ場合も多い。祖父から助言を受けたは現在、目の前の妖精と仮契約を結んでいた。仮契約を結ぶ間は共に生活を送り、絆を育んでいく。なお特定の妖精と契約を結んでいる人間は、契約していない別の妖精から力を借りることはできない。そのための祖父は個別での契約は結んでいなかったらしい。しかし祖父は多くの妖精たちと適切な距離で、良好な関係を築いていた。がそのことを知った時には、改めて祖父の賢さや立ち回りの上手さに感銘を受けた。

 も祖父と同じように特定の妖精との契約をするつもりはなかったのだが、祖父曰く経験を積むことに意味があるらしい。何事も経験してみてから決めなさいと諭され、仮ではあるが自分が妖精と契約を結ぶことで何を得られるのか、試してみることにしたのだ。妖精との契約そのものにも様々なリスクが伴うが、この妖精はの魔力だけでなく自身のことも気に入ってくれているようで、とても好意的に接してくれていた。

「少し、試してみようかしら」

 はポツリと呟くと、植木の根元の近くに生えている――もっとも、今は枯れてしまっているが――花を指差し、妖精に「これにお願いできる?」と尋ねた。

「――――」
「一度だけ、試してみたいの。お願い」

 無駄だと言わんばかりに妖精は首を横に振ったが、が手を合わせて頼むと、渋々といった様子で花に向かって小さな手のひらをかざした。

 妖精の手のひらからポワ、と淡い光が現れ、それは花を包み込むように徐々に広がっていく。併せて、は自身の体から魔力が消費されていく感覚に襲われていた。

 妖精は魔法を使うが、個体により使える魔法や得意不得意といった力の差がある。と仮契約を結ぶこの妖精はの体内の魔力を吸収し、一度妖精自身の魔力へと変換した後に植物の成長を促したり、元気にしたりすることができる。植物が元々備えている生命力に働きかける魔法らしいのだが、一度死んでしまった植物を生き返らせることは、妖精の力をもってしても叶えられなかった。

「……やっぱり、駄目ね」

 花を包んでいた光が消えるが、魔法をかける前と同じ、萎れて首を垂らした姿のまま何も変わっていない。妖精はそら見たことかと腕を組み、不満そうにを睨みつける。は苦笑しながら、妖精に指先を差し出した。礼代わりの魔力を渡すためだ。妖精は顔を輝かせると、嬉々としての指先に飛びつく。の指先に額を当て魔力を吸収していた妖精が体を離した様子を確認し、は作業に戻るべく植木に向き直った。

 入れ替える必要がある植物とそのまま残しておける植物をチェックして、は手元の図面に一つずつ書き込んでいく。改めて確認してみると、中庭は平均的な一軒家の庭の十倍近い広さがあった。が植物の状態を確認できた範囲はまだ三分の一程度だ。全体の状態を把握するだけでも、それなりの時間を要するだろう。その後、いったん工事が可能な状態になるまで整備してから、ようやく新しい庭造りに着手できるようになる。

 レオナから指定された期間は半年。

 植物に関連する作業以外では、にはできない作業も多い。そのため、専門の職人や業者にも依頼する必要が出てくるだろう。王宮内部に他所から人を派遣するためには手続きにも時間がかかるので、早めに手配しなければならない。

 が眉を寄せ思考を巡らせていると、不意に背後から男の声が聞こえてきた。

「こちらにいらっしゃいましたか」
「ハンスさん」

 声をかけてきたのは、先日紹介を受けた執事長のハンスだった。ハンスは柔らかそうなたれ耳を揺らしながら、植木の前でしゃがみ込むに近づいてくる。

「レオナ殿下からこれを預かってきました」

 ハンスが差し出してきたのは、クリアファイルだ。立ち上がったが受け取り中を確認すると、契約書などの雇用に関する書類が入っていた。

「試用期間ではありますが、法的には雇用関係になります。作業時間に応じた報酬も支払われますので、必要事項を記入の上、殿下へ直接渡しておいてください」
「わかりました」

 が礼を述べると、ハンスはぺこりと頭を下げ用は済んだとばかりにさっと背を向けた。

「あの、ハンスさん」

 そのまま立ち去ろうとしたハンスを、が呼び止める。

「何でしょう」
「少し確認したいことがあるのですが、いくつか質問しても良いでしょうか……?」
「――少しの間でしたら、どうぞ」

 懐中時計を取り出し時間を確認したハンスは先日あった際にはかけていなかった眼鏡を押し上げ、再びと向き合った。

「ハンスさんはこの屋敷の全般を管理している方、なんですよね?」
「正確には、屋敷内の管理を務める各使用人の統括と、レオナ殿下の補佐を勤めております」

 細かく訂正したハンスに、がなるほどと頷く。そして、訊きたかった本題を切り出した。

「どうしてこの離宮には庭師がいないんですか?」
「レオナ殿下が不要だと仰られたからです」
「でも、離れではあってもここも王宮の一部なんですよね? しかも第二王子が住まう敷地の一つを、誰も管理もせずにこんな状態で放置しているなんて……それに、王宮の方の庭園は専属の庭師が管理していると伺いました」
「……その件について、レオナ殿下は何か仰っていましたか?」
「いいえ、特には……」
「では、私からお答えできることはありません」
「でも――」

 食い下がろうとしたに、ハンスは笑みを浮かべた。人当たりの良さそうな表情とは裏腹に、その目には突き放すような色が浮かんでいる。

「庭師というものは使用人に当たるため、本来であれば私の管理下に入ります。しかしレオナ殿下からのお達しの通り、今の貴方は殿下の直轄の部下という扱いです。そのような立場にある貴方へ殿下以外の口からお伝えできることはない、ということだけお答えしておきましょう」
「…………」

 淡々とした口調で告げられた内容に、は口を噤む。レオナが何も説明していないということは、がそれを知る必要はないということなのかもしれない。

「……一つだけ、言えるとするならば」

 独りごちるように呟かれた声に、がバッと顔を上げた。

「貴方がここへやって来るまで、この庭を管理することができたのは実質レオナ殿下だけだった・・・・・・・・・・・・、ということです」
「え、それはどういう……」
「これ以上は何も。私も仕事がありますので、もうよろしいでしょうか」
「は、はい。ありがとうございました!」

 一礼してその場を去っていく背を見送りながら、はハンスの言葉を頭の中で反芻する。

 中庭は・・・・・・・・・・・レオナだけが管理できる状態だった。それは何を意味しているのだろうか。

 貴族の庭は時に権威の象徴として扱われることもある。敷地の広さに加え、植物の種類の多さや華やかさを維持するためには相応のコストがかかる。その費用を工面することができるという意味で、家格の高さや裕福さを誇示するのだ。

 また、庭には地域の環境に合わせた植物を植えることが一般的だが、それ以外のものを植えたい場合には二つの方法がある。一つ目は温度や湿度などの環境を調整できる温室を設置すること。二つ目は、魔法による特殊な温室のような空間を該当のゾーンにだけ作り出す方法だ。どちらも費用がかかる点は同じだが、後者の方法では持続性が無く頻繁に魔法をかけ直す必要があり、魔法士を雇うための費用が余計にかかってしまう。そのため、貴族などの裕福な家の者が採用する場合が多い。そして夕焼けの草原の王宮内でも、宮殿から繋がる庭園は庭師や魔法士により管理されているという話を、ラギーから聞いていた。

 レオナは自身が離宮に住まうにあたって、中庭の管理を不要だと判断した。の知るレオナは権威の象徴というものには興味を持たなさそうであり、何よりも実益を優先しそうな男である。中庭の管理にかかる費用を切り捨てただけともとれるし、単に興味が無かっただけという可能性もある。

「……理由を聞いてみたら、教えてくれるのかしら」

 ここで考え込んでいても、真相が明らかになることはない。そもそもに与えられた仕事、もとい課題は『立派な中庭を造る』ということだけなので、それ以前のことはあまり深く追及する必要もない。しかし、荒れ果てた状態のまま放置されていたということが妙に引っかかった。

 機会があればレオナ本人に尋ねてみようと決め、はひとまず今日の作業を終えるべく、次の場所へと足を向けた。



* * *
 すでに何度か訪れたことのある、レオナの執務室。

 は自身の何倍もの大きさと高名な職人が施したとわかる精巧な模様が美しい目の前の扉を、二度音を立てて叩く。

「入れ」

 すぐに返ってきたレオナの声を聞き中へと入ったは、レオナが座る机の前まで近寄ると抱えていた書類を差し出した。

「今日の報告書と、渡されてた雇用関係の書類よ」

 は中庭を工事するにあたり、毎日の作業内容や時間、翌日の予定を書類にまとめて報告するように言われていた。

「あぁ、その山の上に置いておけ」
「…………どの山よ?」

 顔も上げずにそれ、とだけ指示したレオナの前には確かに大量の書類が積まれた山がある。しかし、それはパッと数えただけでも五つあった。さらに山と山の隙間を埋めるように巻き物が詰め込まれており、レオナはまさしく書類に埋まっている状態である。

「お前から見て、右から二番目の山」
「コレ?」

 指定された山の上に、手に持っていた書類を重ねる。

「ねぇ、あの中庭に以前植えられていた植物の目録のようなものは残ってない? 葉や形で種類がわかるものもあるけど、朽ちすぎて判別しきれないものも多いのよ」
「それなら確かそっちの棚にあったはずだ」

 羽根ペンを置いて立ち上がったレオナが、部屋の壁面に並べられた本棚の前まで歩いていく。後を追ったが伸ばされたレオナの手の辺りを覗き込むと、そこには暗い色の背表紙の本が並んでいた。には読めない言語のものも多いが、共通言語で書かれたタイトルの中に『呪い』という単語を見つけて、は思わず一歩後ずさった。

 なんと物騒なタイトルだ。

「心配しなくても、やばいモンは置いてねーよ」
「だって、呪いって……」
「一般的に流通してる本だ。まじない程度の本なら、お前も読んだことあるだろう」

 言いながら、レオナは一冊の本をへ渡してくる。がこわごわと受け取れば、深緑色の表紙には古びたインクの手書き文字で『植物目録』と記されていた。そのままの横をすり抜け、レオナは机に戻り再び書類の山と向き合ってしまう。

「ここで読んでも良い?」
「別に構わんが、茶は出ないぞ」
「わ、わかってるわよ……」
「そこの椅子、適当に片付けて使え」
「ありがとう」

 そこと言われてきょろきょろと辺りを見渡したは、少し離れたところに置かれた長椅子の存在に気が付く。深い紅色のベルベット生地の座面には、レオナの机周りほどではないが書類の束がいくつか積まれていた。それらを端に寄せ座れるスペースを作ってからが腰を下ろせば、長椅子はふかふかとした感触でを迎え入れてくれた。包み込むような座り心地からは、長椅子が上質な一品であることがわかる。

 以前訪れた際は気が付かなかったが、元々この部屋でも客人を応対できるようにはしているらしい。が座った長椅子の前にはガラス張りの机も置かれており、机を挟んだ向かい側にもう一つ長椅子がある。なお、そちらの長椅子は退かしきれないほどの書類や本で埋まっていた。どうやら、この長椅子が本来の用途で使われる日はしばらく来なさそうだ。



 静かな室内でレオナが紙の上でペンを滑らせる音に、がときおり本のページをめくる音が混ざる。目録を半分ほど読み終えたところで、はふぅと息を吐いた。

 中庭に植えられていた植物は、やはり夕焼けの草原で多く見られる種類を中心としていたようだ。

 固まってしまった肩を揉みほぐしながら、ちらりと部屋の中央を窺う。相変わらず書類に集中しているレオナの伏せられた目元には、長い睫毛が影を落としていた。

 スッと通った鼻筋と、彫りの深い顔立ち。褐色の肌はきめ細やかで、染みの一つもない。の記憶の中のレオナと比べると、少々やつれただろうか。それでもレオナの美しさが色褪せることはなく、むしろ歳を重ねたことで艶やかさが増し、深みが出ているようにも感じられた。

 十一年前、恭しくの手を取りかしづいたレオナの完璧なまでに美しい微笑みを脳裏に浮かべ、は頬を染めた。

「――何だよ」
「ぅえ!?」
「視線がうるせぇ」

 こっそり眺めていたつもりだったが、どうやらバレバレだったらしい。

「その、綺麗だなぁ……って思って」
「は?」

 レオナが手の動きを止め、不可解そうな顔でを見やる。

「邪魔してごめんなさいっ。この本、持ち出しても大丈夫かしら?」

 自らレオナに見惚れていたことを白状してしまったは、気恥ずかしさから声を上擦らせて誤魔化そうと試みる。

「読み終えるのに時間もかかりそうだし色々参考にもしたいから、借りられるのなら自分の部屋で読むわ!」
「……王宮に関する書物は持ち出し禁止だ」
「書き写すのも?」
「内容による。植物の種類程度なら問題ないが、一応確認するから貸せ」

 持ってこいと手招きしたレオナに従い、がレオナに本を手渡す。パラパラと本当に読めているのかと疑わしい速さでページを捲るレオナを、は机越しにぼんやりと眺める。少しして粗方見終わったらしいレオナが本をへともう一度返してきた。書き写す分には問題ないとのことだ。

 今は紙やペンを持っていないので、日を改めるべきか。それともこの場で一通り読んでから、事前に書き写す部分のめどをつけておくべきかが考えていると、レオナが机の端に設置されているインターホンのような機械を操作し、マイク部分に向けて声をかけた。

「休憩する。茶を二人分と何か適当につまめるものを……あぁ、それで良い」

 キョトンとするの横を、立ち上がったレオナが通り過ぎる。そのまま先ほどまでが座っていた椅子にどかりと腰を落ち着けた。

 どうやら、本当に休憩するらしい。

 少し迷った後、もレオナの横にそっと腰掛ける。向かい側の椅子の方が良いかとも思ったのだが、大量の書類を片付けるのは骨が折れそうだったので断念した。距離の近さに少々落ち着かないの方を気にすることもなく、レオナは近くに放置されていた赤い表紙の本を手に取り読書を始めてしまった。が横から覗き込んでみると、本にはの知らない言語が細かい文字でぎっちりと書き込まれている。挿絵も無くとにかく難しそうだということ以外、どんな内容なのかはさっぱりわからなかった。

 完全に本に意識を集中し始めてしまったレオナに話しかけることもできず、は仕方なく自分も目録を読み進めることにした。

 やがて、控えめなノックの後に侍女らしき女性が室内へワゴンとともに入ってきた。侍女はレオナの前にサンドイッチの乗った皿を、の前には焼き菓子の乗った皿を置いてから、二人の前にそれぞれ紅茶の入ったティーカップなどを並べていく。一式を並べ終えた後、侍女はレオナに頭を下げると一瞬だけに視線を向けてから無言で退出した。

 侍女が置いていった焼き菓子は焼きたてらしく、ほのかに湯気を立てている。狐色の生地はバターがたっぷり使われているであろう甘い香りを漂わせていて、見るからに美味しそうだ。先日ラギーから聞いた「お菓子はめちゃめちゃ美味かった」という言葉を思い出したが焼き菓子から目を離せずにいると、レオナがに「好きに食え」と促し自身はティーカップに口を付けた。

「レオナさんはサンドイッチなのね」
「俺は甘いモンは食わないからな」

 レオナは甘いものを好まないらしい。そしてサンドイッチの具材は肉がお好みらしい。パンからはみ出んばかりに挟まれた分厚い肉を盗み見ながら、はレオナのことを新しく知ることができたと笑みを浮かべた。喜びを抑えきれずに弛んだ頬のまま、は焼き菓子をフォークで一口サイズに切り分け口へ運ぶ。

 長方形の形とほんのり香るアーモンドの香りは、フィナンシェだろうか。

 しっとりとした生地を口に含んだ瞬間、は瞳を輝かせた。重すぎないバターの芳醇さと、それに負けないアーモンドや卵、ミルクといった上質さを感じさせる素材本来の味。そして後に引かない優しい甘さ。はお菓子の中でも焼き菓子は好んで良く食べていたが、過去に食べたことのある菓子の中でも一番の美味しさだった。

 これが、王宮のお菓子。

 が感激して「美味しい、美味しい」と繰り返しながら食べ進めていると、興味を引かれたのかレオナがの手元をじっと見つめてくる。レオナの視線に気が付いたは、新しくフォークに刺した焼き菓子を掲げ、冗談めいた口調で尋ねる。

「食べてみる?」
「…………」

 真顔での顔との手の中を見比べたレオナが、おもむろに差し出された焼き菓子に噛り付く。そんなレオナに、がぎょっと目を剥いた。甘いものは好かないと宣ったばかりの、しかも王族であるレオナが、が手に持ったフォークから直接食べるような真似をするとは思っていなかったのだ。

「何で食べるのよ!?」
「お前が差し出してきたんだろうが」
「まさか本当に食べると思わなかったの!」
「別に今さらお上品に振る舞う必要もないだろ。どうせ他に誰もいないんだから」
「もう……あ、ちょっと!」

 呆れながらもう一度焼き菓子を食べようとしたの手首を、レオナが掴む。はぎょっとして手を引っ込めようとするが、の抵抗などまるで無いもののように手を引き寄せ、またフォークの先の焼き菓子に噛り付いた。

 が焼き菓子を奪われた衝撃に固まる。

 ニヤリと口角を上げたレオナに、は揶揄われたのだと悟った。はむぅと唇を尖らせるが、レオナは構うことなく「甘いな」と眉を寄せ紅茶を口に含んだ。また盗られてしまっては敵わないと警戒しながらが皿に残る焼き菓子を切り分けていると、執務室の扉がコンコンと鳴らされる。

 レオナから入室の許可を得て入ってきたのは、ハンスだった。

 ハンスはをちらりと見やるも特に言及することはなく、レオナに何かを耳打ちする。途端、レオナの顔が不快げに歪められた。

 頭の後ろをガシガシと掻きながら、レオナが舌打ちする。

「思ったより早かったな」
「陛下はレオナ殿下の交友関係をとても気にかけていらっしゃいますから、早々にお会いしておきたかったのでしょう」
「俺はアイツの息子かよ。暇そうで羨ましいぜ」
「殿下がいつまでも冷たく当たられるものですから、余計に拍車がかかっておいでなのですよ」
「ラギーと同じこと言ってんじゃねぇよ……」

 ため息を零したレオナは、二人のやり取りを見守っていたの方へ顔を向ける。

「明日の午後は作業しなくて良い。適当に小綺麗な格好でもして、またここに来い」
「……あの、まさか……」

 先ほどの二人の会話の内容や小綺麗な格好という言葉から嫌な予感を察知したがおずおずと窺うと、レオナは片眉を釣り上げてニヤリと笑みを浮かべた。

「国王様と一緒に、楽しい楽しいお茶会だ」

 レオナの声からは、全く楽しさは感じられなかった。

一覧へ