明日の恋を咲かせて Chapter.1 明日の恋を咲かせてⅠ 2-2

 日が暮れ始め、徐々に赤く染まりつつある中庭にカタカタとキーボードを叩く音が響く。

 人気の無い中庭のベンチに腰かけたは、膝上に乗せたノートパソコンで今日の作業報告書を作成していた。

 には事務作業を行うための部屋——ほとんど使われていないという小さな書庫を貸し与えられている。

 しかし室内で文字と向き合っているとどうにも息が詰まってしまいそうになるため、天気の良い日は中庭で事務作業を片付けるようにしていた。

 一日のうちに行った作業の概要と、翌日に予定している作業内容をは端的にまとめていく。その両手側から、二人の妖精がそれぞれパソコンの画面を興味深そうに覗き込む。

 機械類に触れる機会の少ない妖精たちには、が扱う機械類——とりわけパソコンのようなものは特にもの珍しいらしい。

 次々と画面の中へ書き込まれる文字を捕まえようと、小さな手を忙しなく動かし戯れる後ろ姿は、まるで子猫のようだ。

「もう少ししたら書き終わるからねー」

 妖精たちが飽きて退屈してしまわないうちに終わらせてしまおうと、は文字をタイプする手を速めた。報告書を書き終えた後は、妖精たちが待ちわびている『報酬』の時間である。

 普段は作業後も日が沈むまで中庭でのんびりと過ごすことも多い。しかし今日は、ときおり髪をさらっていく風がひんやりとしている。まだ日差しの温もりが残る体でも、長時間体を動かさずにいたら風邪を引いてしまいそうだ。あまり長居はしない方が良いだろう。

 は報告書に載せる最後の一文を打ち込むと、データを保存してからノートパソコンを閉じた。あとは報告書を印刷して、ハンスへと手渡せば今日の仕事は完了だ。

 は、待ち遠しそうにそわそわとしている妖精たちに向き直る。

「お待たせ。はい、今日の分よ」

 指を差し出せば、茶色いひっつめ髪の妖精が顔を輝かせて飛びついてきた。その様子を、同じく茶色い髪を肩くらいの長さで揃えた妖精が羨ましそうに眺めている。

 こちらの妖精は制約を課されているため、もう一人の妖精と同じ『報酬』は与えられないが、からの『プレゼント』という名目で少量ではあるものの魔力を与えている。制約の抜け穴を利用しているため、与える魔力量の加減を間違えると色々と『まずい状況』になるらしい。

「今日の夕飯はどうしようかしらね〜」

 妖精に自ら魔力を吸収してもらいながら、が独りごちる。同時にきゅう、とお腹が空腹を訴えるように鳴いた。

 王宮で働く場合、基本的には住み込み制となる。使用人らに与えられる専用の居住区で生活する者には食事の賄いも供給されるのだが、はラギーを含むレオナお抱えの研究員たち同様、離宮の空き部屋を間借りしている身だ。

 個室でトイレやシャワー付きの部屋に暮らせる代わりに、食事は全て各々で何とかしなければならない。

 さすがにキッチンまでは部屋に付いていないが、使用人らが自由に利用できる共用キッチンと、そこに置いてある食材や道具は自由に使わせてもらえるようになっている。

 も簡単な料理くらいは作れるし、材料の調達に悩む必要も無い。しかも、王宮の料理人たちが厳選して仕入れた食材ばかりだ。

 さすがに王族や賓客用の食事に使用するものとは別ではあるが、民間の市場で売られているものよりも品質が高いことに変わりはない。どれだけ適当に作ったとしてもそれなりの味になってくれるので、大変助かっている。

 さらに、頻度はあまり高くないがラギーと食事の時間が被った際はも手伝うことを条件にご相伴に与ったりもしている。ラギーの作る料理は定番の家庭料理が多く、どこか懐かしさを感じさせる味でとても美味しい。

「この前作ってもらったシチュー、また食べたいわ……ん?」

 つい先日食べさせてもらったラギーお手製のシチューの味を思い出しもう一度お腹を鳴らしたは、サクサクと芝生を踏みしめる音に気が付いた。

 夕方になってから中庭を訪れる者は少ない。

 日が沈むと辺り一帯は暗くなり、視界は月明かりと中庭の入り口にあるランプだけが頼りになってしまう。

 昼間とは違う夜の雰囲気もそれはそれでまた味わいがあるが、ほとんどの者は景色を目的にはやってこないだろう。

 もし来るとしたら、に用件がある場合が多い。例えばレオナなど、と親しい者たちがそうだ。

 レオナは今日、の予想どおり中庭へは来なかった。昼間に来れなかった代わりに今になって来てくれた可能性も無くはない。

 しかしまだ少し離れたところから聞こえてくる足音は軽快で、何やら楽しげな様子を思わせた。その正体がレオナである可能性は低いだろう。

 は膝の上に乗せていたノートパソコンを横に置くと、来訪者を出迎えるべく立ち上がった。

 中庭の中央の広場を取り囲む茂みの陰からが覗き込むと、昼間会ったばかりのチェカがとても上機嫌な様子で向かってきていた。

 確かにまた来たいとは言っていたが、まさかこんなに早く再会するとは思っていなかったは、不思議に思いながらもチェカに声をかけた。

「チェカ様、どうかしましたか? ……って、あれ、レオナさんも?」

 に気が付き、チェカがにこやかに笑みながら駆け寄ってくる。そんなチェカの後ろを、レオナが気だるそうについてきていた。

 思わぬ組み合わせに、がぱちりと瞬く。

 チェカが「仕事は終わった?」と尋ねてきたので、が首肯する。チェカはの返事に、パァと顔を輝かせた。

「この後父様と母様、それにおじさんの皆で晩餐会があるんだ。良かったら君も一緒にどうかな?」
「……はい?」

 思わず聞き返してしまったが、チェカは今何と言っただろうか。の聞き間違いでなければ、国王夫妻やレオナたちと共に晩餐会に参加しないかというお誘いを受けた気がする。

「あの、今何て……」
「晩餐会だよ! もしかしてもう食事は済ませちゃった……?」
「いえ、まだですけど…………晩餐会!?」

 聞き間違いでは無かった内容に、が目をむいて反芻する。

「良かった。父様や母様と君のこと話してたら二人も会いたいって言うから、僕から提案してみたんだ」
「いやいやいやそんな……! さすがに恐れ多すぎますよ!」

 が慌てふためいて辞退しようとすると、チェカが「迷惑だったかな……」と悲しそうに眉を下げる。その表情と声に、はうっと言葉をつまらせた。罪悪感で胸がチクチクと痛んだ。

「お、お誘いは嬉しい、ですけど……ご家族の団らんにお邪魔するのも悪いですし……」
「父様も良くお客様を招いてるから、大丈夫だよ!」

 それは国賓級の方々ではなかろうか。

 がたまらず目線でレオナへ助けを求めるも、レオナは静かに首を振るだけだった。どうやら諦めろ、ということらしい。

 レオナでもだめなのであれば、ではなおさらどうにもできないだろう。は諦めて、チェカからの誘いを受けることにした。

「わかりました……ご迷惑でないのなら、ご一緒させて頂きます」
「本当!? ありがとう!」

 幸い晩餐会まではまだ時間があるらしく、ひとまずは支度を終えたら合流することとなった。

 レオナは「後で迎えに行く」と言い残し、とても嬉しそうに手を振るチェカとともにその場を去っていった。

 その後のは、それはもうてんやわんやだった。

 慌てて妖精たちへの『報酬』を渡し終え、報告書をハンスへと提出した後は自室へと戻り、湯を浴びて全身の土汚れを落とす。

 いつもならマジカメを見ながらのんびりと髪を乾かすのだが、今日は大慌てで終わらせた。

 髪を乾かした後は、クローゼットの中を漁り晩餐という場にふさわしい服を探す。

 レオナは「そこまでかしこまった格好でなくて構わない」と言ってくれたが、王族たちと食事をともにするのである。やはりそれなりに小綺麗な格好で赴くべきだろう。

 が持っている私服は少ない。普段はほとんど作業着で過ごしているため私服を着る機会が少ないということもあるが、はそもそも夕焼けの草原にはほぼ身一つでやってきた。

 が実家から持ち込んだ私服は、綺麗めなデザインのワンピース一枚だけ。

 それに加えて以前レオナのパートナー役を請け負った際にもらい受けたドレスが二着あるのだが、さすがに今回それを着ていくわけにもいかない。

 他には給金をもらえるようになってから買い足したブラウスやスカートなどが数着ほど。どれもシンプルなデザインのため、選択肢に含めても問題は無いだろう。

 しかし、

「——せっかくだから、コレにしようかしら」

 が手に取ったのは、絹糸で織った布で作られたワンピースだった。

 このワンピースは、が以前休日に街へ出かけた夕焼けの草原の伝統品を扱う専門店で見つけたものだ。

 一見して素朴なデザインではあるが、袖口やスカートの裾部分には独特な紋様が一つ一つ丁寧に手縫いであしらわれている。

 紋様は夕焼けの草原の伝統的なものらしく、草木や太陽といった自然をモチーフにしているらしい。

 ワンピース自体に使われている生地も上質なもので、が普段買う身の回りの品と比べるとだいぶ値が張るものだった。

 王宮から支払われている給金もあまり使っていなかったお陰でだいぶ貯まってきていたので、たまにはと奮発してみたのである。

 はワンピースに着替え、髪をゆるく編み込み、食事の際邪魔にならぬようまとめ上げる。

 それから確認のために姿見の前に立つと、鏡面に映る自分の姿をじっと見つめ呟いた。

「……このくらいなら、大丈夫よね」

 ワンピースの袖口——繊細な線で描かれた紋様を指先でそっとなぞり、が物憂げに目を伏せる。そして、王族のために作られた伝統の衣装を着るレオナの姿を思い描いた。

 彼が普段身にまとうその衣装にも、が手に持つワンピースの紋様と似たようなものがあしらわれている。

 これは、レオナには伝えていないのわがままだった。

 も年頃の娘だ。恋人との『お揃い』に憧れていないわけではない。

 しかしまだ二人の関係を公に知らしめることのできない現状を思えば、堂々とレオナとの『お揃い』を持つことが難しいこともわかっている。

 そのため、せめて少しでも『お揃い』の気分を味わいたいとが目を付けたのが夕焼けの草原の伝統の紋様だった。

 これならば、レオナと同じようにが身にまとっていても、他の人たちから不思議に思われたりはしないだろう。

「……それに、積極的に国の文化に触れようとしている姿を見せたら、印象も良くなりこそすれ悪くなることは無いでしょうし! うん!」

 自分に言い聞かせるように言葉にしたの耳に、部屋の扉を数回ノックする音が届いた。時間を見るに、おそらくお迎えだ。

「はーい」

 が返事をしながら扉を開ければ、廊下には先ほどと変わらぬ姿のレオナが立っていた。

 レオナは「開ける前に相手を確認しろよ」と眉をひそめる。

「私の部屋に来る人は限られてるもの」
「それはそうかもしれねーが……はぁ、今は良い。支度はできたか?」
「一応は……ね、この格好で大丈夫そう?」

 レオナから全身が見えるよう、が両手を広げて彼の目の前に移動する。レオナはじっとを見下ろし、ポツリと呟いた。

「そんな服、持ってたんだな」

 レオナの言葉に、が顔を輝かせる。

「これね、この前買ったばかりなのよ。本当は今度街に行くときにでも着ていこうかと思ってたんだけど……ちょうど良いかなって」

 言いながら、がくるりと回ってみせる。の動きに合わせ、ワンピースのスカートがひらりと舞った。

「えへへ、似合う?」
「まぁ、着られてはいないな」
「ここは褒めてくれても良いんじゃない? アニーさんに言い付けるわよ」

 が唇を尖らせながら口にした名前に、レオナが眉をひそめる。アニーとは、以前が淑女としての立ち居振る舞いを師事した家庭教師の女性だ。過去にレオナやチェカたちの礼儀作法なども教えていた人物でもある。

「別に俺はアニーが怖いわけじゃねーぞ」
「でも、アニーさんの言うことは素直に聞いてたじゃない」
「歯向かうと後が色々と面倒なんだよ。つーか、アニーとも連絡取ってんのか」

 レオナがこてりと首を傾げる。

 アニーがの家庭教師となってくれていたのは、がレオナのパートナー役として参列した式典のためであって、あくまで期間限定の関係だった。

 式典が終わった後は特に指導を受けていたわけではないものの、せっかく知り合えたのだからとはアニーに頼み、連絡先を教えてもらっていたのだ。

 アニーとは短い期間での付き合いではあったが、今でもときおり連絡を取り合えるくらいの関係である。

 の説明に、レオナは「お前ってさりげなく人脈広げていってるよな」と感心していた。

「このワンピースを買ったお店もね、アニーさんに教えてもらったのよ。夕焼けの草原の伝統品を扱ってるお店の中でも、有名な老舗なんですって」
「あぁ、あの店か。あそこの服なら、結構高かったんじゃないか」
「そうなのよ、だからちょっと奮発しちゃった」
「そんなに気に入ったのか」

 レオナの言葉に、が視線をさまよわせる。

 がこのワンピースを選んだ理由をレオナが知ったら、どう思うだろうか。重いと思われるか、軽率だと怒られるか。それとも、このくらいなら問題無いと許してくれるだろうか。

 突然言いよどみ不審な様子となったに、レオナが訝しげに先を促した。は少しの逡巡の後、こわごわとレオナを見上げる。

「……レオナさんもこういう紋様が入った服、着てること多いでしょう」
「この国の伝統紋様だからな。王族が身に付けるものには大体入ってる」
「だから、そのぅ……」

 がチラリとレオナを見やる。正確には、レオナが着ている服にも刻まれている紋様に視線を向けた。

「お揃い……みたいじゃない……?」
「…………そういうのは、二人だけのもので揃えるんじゃねーのか?」
「わ、私は嬉しいから良いの!」

 レオナの指摘は全うなものだが、とてそれを思わなかったわけではない。

「だって二人だけのものは、まだ身に着けられないでしょう……その……バレちゃう、から……」
「…………」

 レオナから目をそらし両手の人差し指の先を合わせながら言うを、レオナが口をつぐんで見下ろす。

 それから小さくため息を吐き、手で後ろ首をガシガシとかいた。

 レオナが身を屈め、の耳元で囁く。

「良く似合ってる」
「ッ……」

 の耳元で響いたレオナの声は、やけに甘さを孕んで聞こえた。

 レオナの指先が、優しくの横髪をさらっていく。

 の顔がぶわりと紅色に染まった。の反応に、レオナが「自分で褒めろって言ったのに、照れんのかよ」と可笑しそうに笑った。

 褒めてほしかったとはいえ、まさか耳元で聞かされるとは思っていなかったのだ。致し方なかろう。

 が真っ赤な顔のまま恨めしそうに睨むも、レオナはそれすらも楽しんでいる様子だ。

 ひとしきりを揶揄った後、くるりと背中を向ける。

「そろそろ行くぞ」
「あ、ま、待ってよ!」

 さっさと歩き出してしまったレオナに、は慌てて自室の扉に鍵をかけ、後を追いかけた。

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