※王妃様捏造注意。
明日の恋を咲かせて Chapter.1 明日の恋を咲かせてⅠ 2-3

「今日はずっとチェカ様と一緒だったの?」
「あ? あー、そうだな……」

 何気なく尋ねたの言葉に、レオナが遠い目をして答える。

「アイツの挨拶回りに何故か俺まで連れ回されてな……お陰で何も書類が片付かなかった」
「それは……大変だったわね……」

 いつもよりも覇気のない声でぼやいたレオナに、は自然と労いの言葉を口にしていた。よほど疲れたのだろう。

「そっちに行けなくて悪かったな」
「大丈夫よ。チェカ様と話したときに今日は来れないんじゃないかって思ってたもの」
「……寂しくなかったか? 会えなくて」

 尋ねてきたレオナの口元はにやけていて、明らかにを揶揄おうとしている。は先ほどさんざん揶揄われたことを思い出し、今度はレオナの思い通りにはなってやるものか、とプイと顔を背けた。

「別に、これまでだってレオナさんが来れないときは何回かあったし!」

 そもそも、レオナが昼間にの元を訪れることについては、特段約束を交わしているわけではない。

 中庭でレオナとがともに過ごす時間は、多忙を極めているレオナが少しでもと過ごすひとときを確保しようとしてくれているという彼の配慮によるものなのである。

 レオナが頑なに守っている二人きりになれるのは昼間のみという条件と、レオナが休息を取れるタイミングは日によってまちまちだという環境からの側からレオナの元へ訪れるのは難しい。

 自由にレオナと会える時間が少ないことを寂しく思わないことはない。しかし、とてレオナに無理をさせたいわけではない。もしが「寂しいからもっと会いたい」と願えば、きっとレオナは今以上に無理をしてまで時間を取ろうとしてくれるだろう。

 自分はちゃんと身の程も弁えているし、レオナの多忙さもきちんと理解をしている。本音を飲み込みがあえてつれなく返せば、レオナは肩をすくめた。

「そーか。てっきり拗ねて返事寄越さねぇのかと思ってたけどな」
「返事?」

 明後日の方向に向けていた視線を思わずレオナの方へと戻し、が瞬く。

「昨日送ったやつ、既読無視したろ」
「えっ…………あ、本当だわ!」

 レオナの言葉に慌てて携帯端末でメッセージアプリを開けば、確かに二人のやり取りはレオナからのメッセージを最後に止まっている。

 普段ならば確認してすぐ返すようにしているのに、と考えたところで、ふとは違和感を覚えた。

 どうして昨晩は、レオナからのメッセージを読んだ後に返事をしなかったのだろうか。

 表示されている時間を見ると、レオナからメッセージが送られてきたのは夜も深まった頃だ。単に返事をする前に眠ってしまっただけかもしれない。

 しかし、は毎朝起床時と日中も新着メッセージの有無や返事をしていない連絡が無いか確認をするようにしていた。

 にもかかわらず、レオナから言われるまで気が付かないとは。よほど気が抜けていたのだろうか。

「しかしまぁ、会ったらもう少し動揺するかと思ってたが案外普通だったな」
「動揺?」
「昨日の今日だったから——」

 レオナが不自然なところで言葉を途切れさせた。その視線は前方——廊下の奥の扉に向けられている。

 どうやら、話している間に離宮から王宮へと繋がる出入り口のところまで来ていたらしい。以前がここを通った際には開放されていた扉だが、今はぴったりと閉められている。

 そして、扉の側には以前は見かけなかった衛兵の姿があった。

 不思議に思ったに気が付いたのか、レオナが「警備を強化したんだ」と教えてくれた。

「その様子だと、登録はまだだな」
「登録?」
「身分登録しておけば、手続きを省略できる。使用人証は?」
「あっ、置いてきちゃった」

 使用人証とは、正式に雇用されている使用人らに配布される特注品のブレスレットのことだ。も例に漏れず、試用期間が終わった際に渡されている。

 ブレスレットは業務中には着用を義務付けられており、円滑な業務の遂行を目的に常に居場所を把握できるようGPSが内蔵されている。ただしプライバシーの保護の観点から、業務時間外についてはGPSをオフにしたり、ブレスレット自体を外すことが許可されている。

 その使用人証を、は先ほど自室で外してしまったことを思い出した。取りに戻るべきだろうかとレオナを窺う。

 しかしの答えを聞いた衛兵は書類を取り出すと、へ差し出してきた。

「こちらをご記入ください。その後魔力登録をして頂きます」

 書類は氏名や所属の部署などを記入するようになっているようだ。バインダーに挟まれた書類とペンを受け取りながら、がレオナに尋ねる。

「レオナさんはもう登録してあるの?」
「俺がどれだけここを通ると思ってんだ?」
「……そうね」

 は愚問だったと、呆れた顔で見下ろしてくるレオナから視線をそらした。ちょっと聞いてみただけだ。

 記載された項目を一通り書き終え、が書類を衛兵へと手渡す。衛兵は書類にザッと目を通すと「問題ありません」と頷いた。

 次に衛兵は手のひらに乗るくらいの小箱を取り出し、それをの目の前へ差し出してきた。

 箱の中には濃い藍色の石が埋め込まれている。微かに感じる魔力から、石の正体は魔法石だということがわかった。

「では、魔力登録の方をお願いします」

 衛兵の指示に従い、が魔法石の上に手のひらをかざす。

 体の中の魔力を手元へと集中させると、魔法石が淡く輝き出した。藍色の光はやがてランプの光ほどの眩さまで強くなっていき、一度点滅してからゆっくりと収束していった。

「これで次からは魔力認証だけで通れる」
「へぇ」

 魔力で身分を判別するだけでなく、通行した時間も自動で紐付けされるらしい。

 なかなか便利な機能だが、魔力を持たない者はどうするのだろうか。訊けば、この魔法石には指紋の登録もできるらしい。

 と同じようにレオナも魔法石に手をかざした後、衛兵が扉を開けてくれた。

 さっさと扉をくぐり抜け歩いていってしまったレオナを、も慌てて追いかける。

 が王宮の方へとやってくるのは、まだ数回目だ。以前ファレナとの私的な謁見を兼ねた茶会やレオナのお使いで書類を届けに来たことがあるくらいで、特に用事も無ければわざわざ足を運ぶことも無い。

 まだ見たことがない王宮の庭に赴いてみたいと思うことはあるものの、それもなかなか機会を得られずにいた。

「ね、レオナさん、こっちの庭って私も見たいときに自由に見れるのよね?」
「咎められることは無いだろうが、あまり推奨はしないな」
「どうして?」
「侍女辺りはともかく、俺のとことは違ってこっちは大臣なんかもうろついてるからな。ここまで言えばわかるだろう」
「……なんとなくは」

 以前ラギーからも、レオナを快く思わない派閥の者と出くわすと面倒な事態になる、と忠告を受けたことがあった。レオナが言わんとしていることも、同じことだろう。

「王宮って、やっぱり色々面倒ね」
「嫌になったか?」
「全然。面倒はあるけど、それより良いことの方がずっと多いもの!」

 悩む間もなく笑って返したに、レオナが目を細める。そして手を伸ばすと、おもむろにの頭を撫でた。

「え、な、何?」
「気にするな」

 レオナの突然の行動に、はされるがままただ目を白黒させる。しかしレオナは気にせずを撫で続け、しばらくしてようやくから手を離した。

 かと思えば、頭から離れていったレオナの手が今度はの頬をむに、とつまむ。

「いひゃいわ……」
「は、変な顔」

 何がしたいのだ、この男は。は白けた目でレオナを見つめた。その間も、レオナはおかしそうに笑いながらの頬をもてあそんでいる。

「はひゃひへほ……」

 上手く回らない口で訴えれば、レオナはあっさりと解放してくれた。

 が少しヒリヒリとする頬を右手で押さえる。

「もう……ほっぺた赤くなってない?」
「なってないなってない」
「なら良いけど……」

 これから国王様たちと会うというのに、みっともない顔をしていくわけにはいかない。

「少しは落ち着いたか?」
「へ?」
「顔、ずっとこわばってたぞ」
「……緊張、ほぐそうとしてくれたの?」
「さぁな」

 普通にしていたつもりだったが、やはり拭えぬ不安は表に出てしまっていたのだろう。なにせ、国王たちとの晩餐だ。は一般家庭で生まれ育ったので、食事のマナーもきちんと学んだことはない。

 アニーからの指導の際も、が参加する予定だった夜会は立食形式だったために、食事のマナーは簡易的にしか教わっていなかった。

「もしおかしなことしてたら、ちゃんと教えてね?」
「そんな気負わなくても大丈夫だろ。今日の面子には細かいことを気にするようなタイプはいないからな」
「それはありがたいけど……はぁ、どうしてこんなことに……」
「チェカに気に入られたのが運の尽きだったな」

 レオナがくつりと喉を鳴らして笑う。

「チェカ様と話せるのは楽しいから良いの。頑張るわ」

 未知の世界に関わることに対して慄いてはいるものの、この状況を招いたチェカのことを恨んだりはしない。

 むしろ、これは王族であるレオナにとっての日常を経験するチャンスでもあるのだ。貴重な経験としてしっかり身にさせてもらおうと、は前を向き息巻いた。



 そうして、昼間話せなかった分を取り戻すかのように話に花を咲かせながら歩いていると、レオナが大きな扉の前で「着いたぞ」と足を止めた。

 華やかで細やかなレリーフを彫刻された扉はの身長の倍以上も高く、が十人ほど並んで歩いても余裕で通れてしまうほどの幅がある。

 扉の前に控えていた執事らしき男はレオナに気が付くと頭を下げ、扉をノックしてから室内にレオナとの来訪を伝える。

 すぐに中からファレナの応える声が聞こえ、は顔を引き締めて備えた。

 厳かな音を立てながら、大きな扉がゆっくりと開かれていく。

 開かれた扉の先には、これまた大きな白いテーブルが置かれていた。その側面の真ん中の席で、ファレナがにこやかに両手を広げている。

 ファレナの右手側の席にはチェカが座り、反対の左手側の席では見知らぬ女性が優雅に微笑んでいた。

「やぁ、良く来てくれたね。好きなところへかけてくれ」
「だとよ。どこに座りたい?」

 レオナに尋ねられ、は部屋の中の様子を見渡す。

 どこに座るのが正しいのだろうか。とっさに判断がつかず、眉を下げた。

「私、レオナさんの隣が良いわ……」

 せめて、良く知るレオナの側で少しでも心を落ち着けたい。

 は他の面々からは見えないように、こっそりとレオナの服を掴んだ。

 ゆらりと揺れた尻尾のふわふわとした先端が、を安心させるかのように優しく撫でてくれる。その感触だけでも、はガチガチに強張っていた自身の体から少しだけ力が抜けた気がした。
 
 そのまま歩き出したレオナに続いて、も部屋の中へと入る。

 レオナはファレナの正面の席の前で立ち止まった。そして、に右隣の席に座るよう促す。の目の前の椅子を、横から現れた給仕係らしき男が引いてくれた。

「あ、ありがとうございます……」

 男に礼を述べ、が音を立てないようにそろりと腰を下ろす。

 男はが腰かけたのを見届けると、ナプキンを手渡し無言で下がっていった。

「君とちゃんと話すのは茶会以来だね。仕事にはもう慣れたかな?」

 が受け取ったナプキンを広げ膝にかけていると、ファレナが声をかけてきた。は慌てて体の向きをファレナの方へと変える。

「は、はい、とても良く取り計らってくださるお陰で、楽しく働かせて頂いてます」
「それは良かった」

 にこにこと満足そうに頷いたファレナは、彼の左手側に座る女性に話しかけた。

「彼女が離宮の中庭を管理してくれている庭師の子だよ。ホラ、前に式典でレオナのパートナー役も担ってくれた……」
「えぇ、覚えてるわ。その節はどうもありがとう」
「は、いえ……!」
「二人は初対面かな。彼女が私の妻だよ」
「よろしくね」
「は、はいっ、よろしくお願いします!!」
「フフ、そんなに固くならなくて大丈夫よ」
「あ……す、すみません……」

 思わず謝ってしまったに、レオナが「さすがに緊張しすぎだろ」と呆れた顔をした。

「だってぇ……」
「これも正式な場ではないんだから、そんなにかしこまる必要ねーよ」

 そうは言っても、一国の主たる国王に加えて、奥方である王妃をも目の前にしているのだ。いくら正式な場ではないと言われたところで、そう簡単にリラックスできるはずもない。

 身を縮こまらせてますます固くなるに、ファレナが「まぁいきなりだし、難しいよね」と苦笑いを浮かべた。

「でもせっかくだから、食事を楽しんでくれると嬉しいよ」
「は、はい、ありがとうございます」

 の返事を聞いたファレナがにこやかに頷く。

「さて、そろそろ始めようか。今日は久しぶりに皆揃ってるから、料理長もはりきってくれたみたいだよ」

 パンと一度手を打って鳴らしたファレナの言葉を合図に、壁際に控えていた給仕係たちが続々と動き始めた。

 ひょんなことからまで混ざることになってしまった、王族の面々との晩餐会。はこの場を無事に乗り切れるかどうか、不安で胸がいっぱいだった。

 どうか、粗相をしでかしてしまいませんように。

 心の中で祈ると、はピンと背すじを伸ばし、次々と運ばれてくる料理たちをじっと眺めた。