秘密の放課後

 『補習に来ないレオナさんを見つけ出して連れてきてほしいんス』

 放課後、今日は図書館で課題を進めようと廊下を歩いていたら、ラギー先輩から出会い頭にレオナ先輩の捜索と捕獲、そして連行を頼まれた。

 レオナ先輩と恋人になってから、こうしてレオナ先輩に関することで頼られる機会が増えたように思う。
 ラギー先輩やジャック曰く、私相手であればレオナ先輩も多少は素直に言うことを聞いてくれるからという理由らしいのだけれど……絶対に、というわけではないところがなんともレオナ先輩らしい。

「レオナせんぱーい、いたら返事してくださーい」

 普段の隠れ家でもある植物園にはいなかった。
 他にも心当たりのある場所を何ヶ所か回ってみたが見つからず、以前一つだけ教えてもらえた『お気に入りの場所』である鏡舎裏の森に足を伸ばしてみた。

 名前もわからない木々や色とりどりの花が生い茂る中を、一人黙々と練り歩く。
 グリムにも着いてきてもらいたかったのだけれど、すごく嫌そうな顔をされた上に交換条件として普段は買うのを控えている高級ツナ缶を要求されたため断念した。
 節約の方が大事である。

 今はどの辺りを歩いているのだろうか。
 初めてちゃんと訪れてみたけれど、この森は思いの外広いようだ。木々の合間に道のようなものはあれど、目印になるものは無い。

 歩き慣れない場所なのであまり奥深くまで入り込むのは得策ではない気がする。
 レオナ先輩がここにいるとも限らないのだし。
 周囲を見回しつつ足を進めていたら、辺りに立ち込める花の香りも強くなってきたことに気づいた。
 立ち並ぶ木々の背も高くなってきたからか、最初に歩いていた場所よりも暗くなってきた気がする。

「やっぱりグリムにも来てもらえば良かったかなぁ……」

 心細くなってきてつい独りごちていたら、横から唐突に何かが飛び出してきた。
 文字通り、ぬっ、と……あ、コレ、人の腕だ。

 自分以外の生き物の気配すら感じられない中、突然目の前に腕が伸びてきたら誰だって恐れ慄くと思う。
 喉が引きつってしまったので悲鳴こそ上がらなかったものの、足がもつれてしまった。
 バランスを崩した体が後ろへと傾き、咄嗟に目を瞑る。

「ッおい!」

 衝撃に備えて身構えるも、倒れる前に力強い温もりが背中を支えてくれた。

「たく……何してんだ」
「れ、レオナ先輩……」

 突然現れた腕の正体はレオナ先輩だった。
 見知った姿に安心してホッと胸を撫で下ろす。

「良くここがわかったな」
「前に教えてくれたじゃないですか」
「そうだったか?」

 首を捻った先輩に「ほら、お誕生日のときのインタビューで」と伝えたら、思い出したようだ。先輩は「そういや話したな」と頷いていた。

「でも良かった、先輩のこと探してたんですよ。今日補習なんですよね」
「何でお前が……あぁ、ラギーか」
「私が相手なら先輩が少し素直になるからって」
「……チッ」
「ふふ」

 罰が悪そうに逸らされた視線につい笑っていたら、離れたところから微かにラギー先輩の声が聞こえてきた。
 姿は見えないが、レオナ先輩の名前を呼んでいるようだ。

「ラギーせんぱ――」

 声を上げて居場所を知らせようとしたら、後ろから抱え込まれ草むらの陰へと引きずり込まれる。

「ちょっ、せんぱッンム」

 抗議の声は大きな手のひらに口を塞がれて遮られた。
 さらに「シー……」と言い聞かせるように耳の中へ吐息を注ぎ込まれて、ぞわりと肌が粟立つ。

 ラギー先輩は私たちの存在には気付かなかったようだ。
 段々遠ざかっていく声に心の中で謝罪しながら、口を覆ったまま解放してくれない腕をタップする。
 私の無言の訴えに気づいてくれたレオナ先輩が力を緩めてくれたので、慌てて腕の中から抜け出そうと試みる。
 しかし今度はお腹の辺りをがっちりと抱えられてしまい、身動きが取れなくなった。
 そのまま座り込まれて、私も先輩の脚の間に座らされる。

「前にも言っただろ、見つからねぇって」
「見つからなきゃダメなんですってば!」

 ここを訪れた本来の目的は、私の後ろでニヤニヤとしたり顔を隠そうともしないこの人を補習へ連れていくことである。
 逆に捕まっていることを知ったら、ラギー先輩怒るかなぁ……。
 役に立てなかったどころか、それとなく共犯者に仕立て上げられた気がする。
 不満を訴えるべく唇を尖らせれば、背後でレオナ先輩が愉快げに笑い声を上げた。

 兎にも角にも、今は先輩を説得して学園へ戻らないと。
 意気込んで振り向いたところで、切れ長の綺麗な目の下があまり見ない色をしていることに気がついた。
 滑らかな肌に陰を落としてしまっている隈に、そっと触れる。

「眠れてないんですか……?」
「少しな」
「なんで……」
「ちと厄介な案件を国から持ち込まれたんだよ。長引くと余計面倒になるから、夜のうちに終わらせた」
「夕焼けの草原の……」
「こっちはこれでも学生の身分だっつーのに……」

 面倒くせぇ、とブツブツと愚痴を漏らしながら先輩が腕に力を込めて、ますます体が密着する。
 無意識だろうか、長いため息を吐きながら腕の力が強くなっていくので、段々苦しくなってきた。

「先輩、少しくるし――」

 言い終わる前にぐり、と肩に顔を押し付けられて、柔らかな髪が頬をくすぐる。
 視界の端で丸い耳がぴるぴると揺れた。
 心なしか、あまり毛艶もよろしくない気がする。いつになく疲れている様子を感じて何も言えなくなり、静かにレオナ先輩の頭へ手を伸ばした。

 レオナ先輩の髪に触れた際、一瞬だけ先輩の体が揺れたが特に咎められなかったので、そのままゆっくりと撫でてみる。
 しばらく続けていったん体勢を変えようと手を離したら、手のひらに丸い頭がぐいぐいと押し付けられた。
 もっと撫でろということらしい。
 ずいぶんと愛らしい主張に内心身悶えながら、体の向きを先輩の方に傾けて手の動きを再開する。

「ねみぃ……」
「……十五分だけなら、見逃してあげます」

 どのみちレオナ先輩の気が済むまでは私も解放されないと悟り、仮眠を取ってもらうことにした。
 端末でタイマーをかけようかとも思ったけれど、懐を探っていたら動きが煩わしいのか不満そうに唸られた。
 タイマーは諦めて体の力を抜き、背中から先輩にもたれかかる。
 すると先輩の腕の力が少しだけ緩み、脚も使って閉じ込めるように全身を抱え込まれた。

「別に逃げたりしませんよ?」
「……ん」
「ふふ……先輩が起きるまでちゃんとここにいますから」
「…………」

 ごねるようにゴロゴロと喉を鳴らしながら、先輩の鼻先が首筋をくすぐる。
 こんな風に甘えてくる先輩はとても珍しい。
 なんだかこそばゆくて、けれどとても微笑ましくて、愛おしい。
 胸の奥の方から、ぽかぽかとした気持ちがじんわりと広がっていく。

 先輩は寝心地の良い体勢でも探っているのか、しばらくもぞもぞと身じろいでいた。
 やがて肩に重みが加わり、すうすうと穏やかな寝息を立て始める。
 背中越しに伝わってくる体温と規則的に繰り返される鼓動の音に耳を傾けながら、私もそっと目を閉じた。

 喧騒も忘れた静かな場所で程良い温もりに包まれながらじっとしていたら眠くもなるのが人の性というものだろう。
 結局私も一緒になって眠ってしまったらしく、気づいたときにはすでに一時間が経過していた。
 目を覚まし慌てて端末を確認したら、ラギー先輩からの着信履歴とメッセージがたくさん届いていた。

「先輩起きて! 寝過ごしました‼」
「ん……あー……?」

 とりあえずラギー先輩に連絡しようと端末を操作していたら、横から伸びてきた先輩の手が勝手に通話ボタンを切ってしまう。

「ちょっと先輩!」
「どうせ今から行っても間に合わねーよ」
「それでも報告くらいは……あ、電話」

 端末のパネルが着信画面に切り替わる。
 通話ボタンを押した瞬間、ラギー先輩の声がスピーカー越しに響き渡った。

『やっと繋がった‼ レオナさんそこにいるんスよね? いますね⁉ 早く連れて戻ってきてくださ――』

 私が返答するよりも先に、またしても先輩の指が強制的に通話を終わらせてしまった。
 ごめんなさい、ラギー先輩。
 とりあえずレオナ先輩は私が責任を持って連れて帰ります。

「なぁ、この後泊まりに来いよ」
「でも今夜は一人でゆっくり休んだ方が良いんじゃ……」
「良いんだよ」
「わっ」

 立ち上がったレオナ先輩に手を取られ、ぐいと引き上げられる。
 そのまま勢いが止められず、ぽすりと先輩の胸元に顔から突っ込んでしまった。
 一気に縮まった至近距離で、先輩が優しく囁く。

「お前がいた方が、良く眠れる」

 そんな風に言われてしまったら、断れる訳がないのに。
 私の答えなどお見通しであろう先輩の顔を見上げれば、頭一つ分上にあるサマーグリーンの瞳と視線が絡み合った。

「……今日は夜ふかし禁止ですからね!」

 びし、と指を立てて念を押す。
 先輩は少々不満気な色を滲ませながらも「わぁってるよ」と了承してくれた。
 よし、言質は取りましたからね。

「あ、でもその前に。先輩も私と一緒にラギー先輩に怒られてくださいね」
「……しかたねーな」
「ふふ、じゃあ戻りましょうか……先輩、道どっちかわかります?」
「は? お前まさか……」
「先輩がこの場所にいてくれて良かったです」

 へらりと笑いながら返せば、先輩は呆れたようにため息を吐いた。

「安心しろ。ちゃんとエスコートしてやるよ」

 差し出された手に自分の右手を添えて、チラリと先輩の顔を見上げる。
 ひと眠りする前より、いくらか顔色は良くなったようだ。
 手を引かれるまま先輩の横に並んで、私はポツリと呟いた。

「……私も、先輩と一緒のときが一番ぐっすり眠れるんですよ」

 先輩の口の端が満足そうに上げられる。

 触れ合った指先をどちらからともなく絡ませながら、私とレオナ先輩は二人一緒に学園の方へ足を踏み出した。

一覧へ