「先輩は半熟派っぽいですよね」
今日の朝食のメニューの一つである目玉焼きの白身がレオナ先輩の手によって一口大に切り分けられる。
塩こしょうのみで味付けされたそれがフォークでレオナ先輩の口元へ運ばれていく様子を眺めながら呟いたら、先輩がピタリと動きを止めた。
チラリとこちらへ視線を投げて寄こした先輩はいっとき間を置いてから、宙で静止していた白身を今度こそ自身の口の中へと運び切った。
どうやら、食事を優先することにしたらしい。
レオナ先輩がゆっくりと静かに咀嚼する。私はそれをじっと見守っている。
程なくして口の中のものを飲み込んだ先輩がナプキンで口周りを丁寧に拭い、口を開いた。
「俺は固焼き派だ」
なるほど。
それでは今まさにレオナ先輩の目の前に鎮座する目玉焼きは彼の好みに沿った出来栄えになっているということだ。
好みの予想が外れてしまったことは非常に残念ではあるが、結果的に功を奏したのであれば喜ばしい。
「食わねーのか?」
トーストされた食パンを手に取った先輩に首を傾げられ、慌てて壁にかかっている時計を確認する。
今朝は珍しく先輩が素直に起きてくれたため時間の余裕はあるのだけれど、あまりのんびりしていたら遅刻してしまいそうだ。
手を合わせて「いただきます」と呟いてから、私も箸を手に取った。
レオナ先輩がオンボロ寮に泊まった際、先輩の食事は私が用意している。
たまに調理済みのものを持ち込んでくれることもあるが、それらは夕食に充てられるので、朝食は私の手料理だ。
初めの頃は王族に自分の料理を食べさせることにプレッシャーを感じていたけれど、レオナ先輩は意外にも野菜の存在以外については文句を言わなかった。
普段はラギー先輩の手料理も食べているそうだし、料理の質自体は王宮レベルでなくとも気にしていないようである。
本人曰く、「誰が作った料理でも食うわけじゃねーぞ」とのことなのだけれど。
ちなみにグリムは昨晩からハーツラビュル寮に泊まらせてもらっているためこの場には不在だ。
ゴーストの皆も気を遣ってくれているのか姿が見えないので、現在私はレオナ先輩と二人きりである。
「肉が無ぇ……」
「あるじゃないですか。ほら、こんがり焼き目のついたウインナーが」
「焦げてるだけだろ」
「少し焼きすぎちゃっただけです」
少ししょげた様子の声音から察するに、ウインナーだけでは物足りないらしい。
しかし朝っぱらから大層な肉料理を作ることも食べることもご遠慮願いたいので、ここは我慢してもらうしかないのである。
「……一応確認してみるが」
「はい、何でしょう?」
「お前の皿に乗ってるその黒い物体もウインナーか?」
私は自分用のトーストにお気に入りのマーマレードジャムを塗りたくりながら、神妙な顔で尋ねてきたレオナ先輩の視線の先を追った。
シンプルなデザインの白くて丸いお皿の上に盛られているのは、黄身までしっかり火が通されやや縁が焦げた目玉焼きと、瑞々しいレタスと艷やかな赤が眩しいプチトマト。
ごくごくありふれた朝食のメニューだ。
そしてその中に、黒く細長い物体が三本混ざっている。
「さらに焼きすぎちゃったウインナーですね」
「…………そうか」
哀れみの視線を送られた。
自炊する生活にもだいぶ慣れてきたとはいえ、今もたまに失敗してしまうことがある。
そして不思議なことに、同時に作った同じメニューであるはずなのに、何故か仕上がりにも差ができてしまうのだ。
今回はこのウインナーだけが黒い炭と化してしまった。
食べ物を無駄にはしたくないのでとりあえず自分のお皿に乗せてはみたけれど、正直なところ箸をつける気が起きない。
どうしたものだろうか。
トーストの端をサクリと齧る。
うん、こちらの焼き加減は完璧だ。
もそもそと咀嚼しながら黒炭ウインナーを睨みつけるが、食べないという選択肢は無かった。
意を決して箸で摘んだそれを恐る恐る口へと運ぶ。
歯で噛み切った瞬間、ジャリ、ととてもではないがウインナーを食べたとは思えない音が響いた後、舌の上いっぱいに凶悪な苦みが広がった。
思わず口元を覆い、涙目になりながらも何とか口を動かす。
「…………はぁ」
こちらの様子を窺っていたレオナ先輩の口からため息が漏れた。
一口分を何とか嚥下し、用意しておいたグラスいっぱいの水を口に流し込む。
それでも舌の上に残る苦みは消えてくれなくて、つい「にがい……」とぼやいてしまった。
「…………」
レオナ先輩は何も言わずに私の顔を見つめている。
自分の失敗をこうも間近で知られてしまったことがなんだか恥ずかしくなってきて、そっと目を逸らす。
視線を下げれば、大人しく順番待ちをしている二本分の黒炭が目に映った。
箸で摘んだままだった黒炭ウインナーをちびちびと食べ進めていると、不意にフォークを持ったレオナ先輩の手が伸びてくる。
「あっ」
フォークはお皿の上の黒炭を一本奪い去っていき、止める間もなくレオナ先輩の口の中へと消えていった。
「…………ッぐ」
相当苦かったらしく、先輩の端正な顔が盛大に歪められる。
「無理しなくて大丈夫ですよ……?」
元より自分の失敗は自分で責任を取るつもりだった。
水の入ったグラスを私が差し出すと、受け取って中身を一気に呷った先輩はむっつりと唇を尖らせる。
ふわふわの耳はぺしょりと伏せられてしまった。
あぁ、不謹慎ながらも可愛いと思ってしまった。
「はぁ…………」
本日二度目のため息である。
私の様子を見かねて食べてくれようとしたようだが、難敵だったらしい。
しばらく何かを思案した後、レオナ先輩がナイフとフォークを持ち直して私のお皿に残されていた最後の黒炭を自分のお皿の上に移動させる。
もしやまた食べようとしてくれているのだろうか。
さすがに申し訳なくなって止めようと口を開いたら、黒炭が手早く半分の大きさに切り分けられる。
そして小さくなった黒炭の片割れと、同じように半分に切られたやや焦げてるだけのウインナーがそれぞれ私のお皿の上にコロリと並べられた。
「……はんぶんこ?」
「ん」
可愛く表現したところで、結局はただ痛みを分かち合っただけである。
それでも一人で全てを食べきるよりははるかにマシだ。
黒炭ではない普通のウインナーも一緒に食べられることになり、私は嬉しさのあまり泣きそうになった。
「先輩が優しくて嬉しいです」
「そりゃどうも」
さっさと自分の分の黒炭ウインナーを食べきってくれたレオナ先輩にお礼を伝えれば、先輩はフンと鼻を鳴らして食事を再開した。
幸いにも、黒炭ウインナーさえどうにかできれば他のおかずはさほど大きく失敗はしていない。
自分の分の朝食を食べ終え私が食器を片付けていると、一足先に食後の紅茶で一息ついていた先輩に手招かれる。
抱えていたお皿をいったん机に戻して近寄れば、下から顎を掬われて口付けられた。
「んっ」
触れた唇から伝わる味はとても苦かった。
紅茶の苦みとはまた別物の味。
まさかあの黒炭ウインナーがこれほどの余韻を残していくとは……思わず複雑な心境になったことが伝わったのか、レオナ先輩がくつくつと笑った。
「次は苦くならないようにガンバレ」
「はーい……」
離れ際、慰めるように頭をポンポンと軽く叩かれる。
「ご馳走さん」
「お粗末様です」
これは余談だけれど、レオナ先輩が前回このオンボロ寮へ泊まりに来たのは一週間ほど前のことだ。
そしてその翌朝も、私は彼に「目玉焼きは半熟派ですか?」と尋ねていた。
先輩の答えは「やや半熟派」。
そのとき先輩の前に置かれていた目玉焼きの焼き加減は『やや半熟』だった。
次にレオナ先輩がここで朝食を食べるのはいつになるだろうか。
わからないけれど、先輩が泊まった次の日の朝、きっと私はまた同じように目玉焼きを作り、同じ質問を繰り返す。
果たして、レオナ先輩は何と答えてくれるのだろうか?